新しい時代の幕開けを告げるかのように
開催された万博のことが、なんとなくうろ覚えだけど、
記憶の片隅に、あるにはある。
世の中のことなんて、何にもわからなかった。
それでも、ぼくはリアル七十年代を生きた。
なんとも不毛な非文化圏のなかで過ごした十年だったのだが、
世間でおきていた現象、気配は
これが実に、今見ても、今聴いても
我が感性にビンビン響いてくるものばかりだ。
かりに、今の自分のまま、タイムスリップできるのであれば、
あの充実した七十年初頭にもどって、
その空気をリアルタイムで目一杯感じながら、
もはや幻となった原風景に、立ってみたい気がする。
愛と自由と反抗と、自分回帰に彩られた70’sマイヒットチャート
温泉スッポン芸者: 杉本美樹 1972
悪魔がにくい:平田隆夫とセルスターズ 1971
この歌を聞いたのが、あのアニメ「天才バカボン」のなかで、植木屋のバカボンのパパが、コンテストかなにかに出て、この時ばかりはとまじめにこの曲を歌って鐘を鳴らしたのだった。個人的な記憶で言うと、連続ヒットの「ハチのムサシは死んだのさ」の方がより印象にあるが、あの時代、こんな曲がヒットしていたんだな。
ローリングストーンズは来なかった:西郷輝彦 1973
薬物疑惑で、73年の来日公演が中止になったことを受けて、書かれた曲がこの西郷輝彦による「ローリングストーンズは来なかった」である。“真珠のジャニス”とはジャニス・ジョップリン、“ホクホクディラン”とはボブ・ディランで、そして“ブギウギ・ボラン”はあのマーク・ボランである。そしてローリング・ストーンズ、ジョン・レノン、サンタナ、シカゴと、続々と洋楽の名前が連呼されるが、歌の内容は、いまいちよくわからない。が、よくよく聴いていると、スーパースターに憧れる、今は二流のミュージシャンによる野望ソングでもある。どこかビートルズの「ペーパーバックライター」みたいなものだったのか。作詞作曲は藤本卓也という元はロカビリー歌手だった人で、「幻の名盤解放同盟」からは「夜のワーグナー」などと称されるほどの鬼才であった。
ヘイ・ユウ・ブルース:左とん平 1973
コメディリリーフ役で、映画やドラマで活躍した昭和の俳優左とん平。どういう経緯でこの曲が生まれたのかは知らないのだが、聴いているうちになかなかクセになる面白い曲である。最初、とん平のイメージとこの曲のムードがもうひとつ、ピンとはこなかったのだが、これが、村井邦彦らと立ち上げた日本初のインディーズレーベル「マッシュルームレーベル」で、ミッキー・カーチスがプロデュースをしているのをみると納得できる。
御意見無用(いいじゃないか):MOPS 1971
日本のサイケロックの先駆け、ともいわれるMOPS。歌謡曲の範疇で語られるものでない。ぼくは当時の鈴木ヒロミツのことを全く知らなかったが、のちのテレビドラマなんかの俳優としかみていなかった。ある意味、このモップスの発見はひとつの驚きでもあった。阿波踊りのリズムに日本語ロックの息吹を注入したまさに時代の先駆けを感じる。
昭和葉隠れ :安田明とビート・フォーク 1975
和モノファンク、として人気が高い安田明とビート・フォーク。稲垣次郎プロデュースによるアルバム『サヨナラは出発のことば 』は、今聴いても通用するほどかっこいいグルーブだ。
そのなかで、この「昭和葉隠れ」では、疾走するグルーブに乗せた日本語ラップのようなかっこ良い展開が乙だな。
怨み節 :梶芽衣子 1973
あのタランティーノにも愛される梶芽衣子といえば、なんといっても「女囚さそり」シッリーズの松島ナミだろう。「怨み」というなんともネガティブな思いを、実にクールに、いや、鋭くかつ激しく演じた彼女のキャラクターの主題歌である。『キル・ビル』にも使用されたことで有名だ。
私のビートルズ:常田富士男 1975
日本昔話の男性語り部、といった方がいいのか。不思議な存在感を醸す人だった。この人がまさか歌を歌っているとは知らなかったが、歪んだファズギターとオルガンにフレンチホルンが絡むイントロからして、なんともムーディーで、このカルトなサウンドは今聴いても、危ない匂いに満ちているし、なんといってもビートルズを引っ張り出して、ドラッグカルチャーを賛歌する展開がツボである。
ジャニスを聴きながら:荒木一郎 1975
70年代は、『白い指の戯れ』や『ポルノの女王 にっぽんSEX旅行』など、むしろ俳優としても活躍した天才荒木一郎。じっくり掘り下げたいぐらい才能に溢れた人物が書く歌はどれもしゃれている。こんなキャッチーでポップなメロディのなかに、きらりひかる詞の才能をさらりと覗かせる。「俺はプレイボーイ 墨で消され 売られていく
さみしさにあの娘を抱きながら ひと寝入り」
「ジャニスを聴きながら」は「君に捧げるほろ苦いブルース」のB面だが、当然、A面もいいんだな。
一人:ディープ平尾 1975
ショーケンと水谷豊の『傷天』のラスト、夢の島のシーンに流れる哀愁のナンバー。ドラマを知っているか知らないかで感じ方も違うはずだが、ザ・ゴールデン・カップスのリーダー・デイヴ平尾。曲は井上堯之で、自らも歌っているバージョンもあるが、ここはオリジナルを尊重しておく。
このなんともふざけたような、それでいてキャッチーな「ヒーコヒコヒコ、ヒーコスッポン!」が頭から離れない怪作は、鈴木則文による『温泉スッポン芸者』のテーマソングだ。
池玲子とともに、東映お色気路線で、2大看板女優として屋台骨を背負ったのが杉本美樹だ。のどかないい時代だったな。