個人史の原点であるイケイケの60年代を語るに、
66年生まれとしては、最大のニュース、
ビートルズ初来日をスルーするわけにはまいりませぬ。
とはいえ、個人的に、ビートルズに行き着くには
思春期をはるかにこえ、少し時間を要してしまったのも事実で、
たとえ当時成人していたとしても、
そのとき、どこまで熱狂したものかまではわからない。
まして、今更ながら、我が家をとりまく非文化的環境を鑑みれば、
そんなハイカラな出来事はあくまで、他人事として流されていたのは明白である。
ただ、田舎に住む四つ上のいとこがビートルズに熱狂していたことを思うと、
そりゃあすさまじい事件だったのだろうな、と推察する。
この出来事が、日本の音楽シーンに与えた影響の大きさなど、
あらてめて、強調するまでもない。
ここ日本では、昭和のお茶の間はもっとシンプルだろう。
自分がもともとグループサウンズなんかには疎かったし、
そこまで好きなものもないとはいえ、
GS最盛期であったことは疑う余地もなく、
なかには、今聴いてもかっこいいものもたくさんあるし、
単に古い、新しい、なんて次元でおっぽっておくのは
あまりにもったいないと思うシロモノを
個人的に引っ張り出してみた。
しかし、どうころんでも、万人が納得し共感を得るような
そんな60’sを回想できそうもない。
といって、単にマイナーで、へんてこなものばかりを振りかざす気にもなれない。
あくまで、心に響く後付けの60’s というくくりでしかない。
はたして、当時、このエリアに熱狂していた人がいるのだろうか、
いたとしたら、きっと仲良くなれたかどうかさておき
今より遙かにレアで、特殊な人種だったのはまちがいないだろう。
胎内回帰アットランダム・マイヒットチャート
モスラの歌 ザ・ピーナッツ 1961
コーヒールンバ:西田佐知子 1961
この歌は井上陽水のカバーで知った。80年代には随分と注目され、カバーが横行した。曲はラテン調だが、ベネズエラのアルパ奏者ウーゴ・ブランコによるあちらのヒット曲で、これはルンバではなくオルキデアという4拍子の曲になっている。歌っている西田佐知子は、あの関口宏の奥方である。歌詞がなかなかパンチが効いていて面白い。
バザズ天国:ザ・キューピッツ 1968
ビートルズの『シ-・ラブス・ユー』等の日本語カバーでデビューした小島孝江、洋子による双子姉妹デュオ、ザ・キューピッツによるグルーヴィなリズム歌謡にご機嫌なオルガンサウンドに、シンガーズ・スリーの伊集加代子のスキャットが絡むなんともかっこいい曲だ。ビートルズのカバーの方も悪くない。新鮮だ。作詞はあの湯川れい子が書いている。
ヨイトマケの唄:丸山明宏 1965
トーチャンのためならえ〜やこらっ。カーチャンのためならえ〜やこらっ。
なんともエモーショナルな曲。ミワさんは、もはや説明不要なほどに、今日まで活躍されているし、影響力も絶大。近年は紅白でも披露されたので、あえていらぬ言葉は省きますが、改めてすごい曲だな、これは。ヨイトマケってなに? って子供の頃は思ったけど、歌詞をみれば、だいたいわかりますよね。元祖ガテン系讃歌というか、これが当時放送禁止だったとは、つくづく時代って移り変わるものだな。
イエ・イエ:朱里エイコ 1967
100万ドルの脚線美こと、日本とアメリカの両方で、活躍した60’Sビート・ガール朱里エイコのごきげんな「イエ・イエ」。先日亡くなった貫太郎こと小林亜星の作詞・作曲・編曲というナンバー。革新的なコマーシャルで、当時一世風靡したレナウンのCMソング。
黄色の世界:J・ガールズ 1969
1969年デビューの葉月しのぶと葉月ジュンによる姉妹デュオ、J・ガールズの当時お蔵入りのナイスチューン「黄色の世界」。カップリング、ジャズピアニストの本田竹彦が弘田三枝子のバック・バンドやっていた当時結成したグループ、ザ・モージョ『So Long Baby」がこれまたかっこいいんだな。
謎の女B:曽我町子 1967
「オバQ」こと「オバケのQ太郎」の初代声優といってて誰がわかるのかはさておき、その後も女優として活躍した曽我町子のこの歌のインパクトったら。影響は現代においても顕著で、渚ようこ〜、エゴラッピン、キノコホテルにまで歌い継がれているナンバーだ。現代アレンジのカバーもそれぞれいいが、やはり原曲のインパクトを改めてリスペクトしておきたい。
じんじろげ:森山加代子 1961
この曲はサンディ&サンセッツのカバーで知っていたけど、原曲はモアプリティな歌。原曲を聴いてまたはまってしまった。こういうオノマトペっぽい歌が大好きなわたくしとしては、今でもつい口ずさむことがあるぐらいですね。作曲はあの中村八大。
夢であいましょう:坂本スミ子 1961
中村八大、永六輔コンビニよる名曲。現代でもいろいろカバーされていて、そっちの方を聞くことの方が多いのだが、これが原曲。1961から1966年まで毎週土曜日に生放送されていた番組の日本のテレビ黎明期に作られたバラエティ番組の主題歌。
ハイそれまでョ:植木等 1962
最後はこちらにしておきましょうか。爆発的ヒットを誇ったクレージーキャッツも、植木等も、当時はきっとサラリーマンたちにとって、時代の代弁者だったんだろうな。これは映画「ニッポン無責任時代」より。いい時代だな。
こうして、自分が物心もつかない空気のなかで、
大衆が求めていたものが、
バイタリティー全盛時代というのか、
ずばり、明日への活力であり、
理屈抜きの人間賛歌が現れている、といっていいのだろう。
わずか10曲足らずで、六十年代すべてを網羅できるはずもなく、
このほかにも、中尾ミエの「可愛いベービー」
坂本九の「上を向いて歩こう」だとか、
ピンキーとキラーズの「恋の季節」、
いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」、
その他スパイダースだの、タイガースだのといったGS
時代としては、そういう大衆に根強く浸透していたものを
すべて総括するには、一つの記事でまとまりそうもないし、
自分の手の届く範囲を超えているので、これぐらいにしておこう。
双子の歌手ザ・ピーナッツのことはリアルタイムでは全然知らないけれども、モスラは知っている。ただ、映画を観たはずの記憶すらさだかではない。(多分見たはずなのだ)今聞くと、ちょっとエキゾチックな感じがするのは、この歌がインファント島の石碑に書かれた碑文を歌ったインドネシア語だからだろうか。