脚本と演出をめぐる茶の間のざわめき
12日はちょうど日航機墜落事故があった日で、
そのことは、記憶のなかに、いまだはなれず残っている。
ちょうど、あの年には、阪神タイガースが
21年ぶりの伝説の優勝を勝ち取った年で
当時まだ住んでいた大阪の地が大いに湧いたこともあり、
その球団社長がいみじくも搭乗し命を失ったという事実が
結束を高めあの快進撃につながったのだと裏話には刻まれている。
そこから、遡ること四年。
あれはやはりお盆を過ぎた八月二十二日のことで、
台湾旅行中に、やはり飛行機の墜落事故で命を落とした作家が
向田邦子で、夏といえば、不吉にも墜落事故のことが頭をよぎる。
が、そんなことをセンチメンタルに回想したいわけではない。
時の移ろいは飛行機よりも早いのだ。
さて、本題に入ろう。
ここに一冊のシナリオがある。
向田邦子シナリオ集V『寺内貫太郎一家』である。
昭和の名作ドラマとして人気を博した女史の代表作でもある。
なぜ、この脚本を読み返そうと思ったかといえば
先日、やはり、小林亜星がなくなったニュースが
どこか頭にひっかかっていて、
そのこともあって、彼の代表作というか、
イメージであるあの石屋の頑固オヤジという、
昭和ならではのスタイルで、
この一世風靡したドラマが焼き付いているからだが、
そのシナリオが、果たしてどういうものだったかという興味から、
一度照らし合わせて味わいたかったからである。
なので、ドラマの内容そのものの感想というわけで
書いているわけでないことをあらかじめ断っておく。
映画なり、ドラマなり、普通は脚本があり
それを元に作品が作られてゆくのは当たり前の話である。
脚本は家づくりでいう設計図のようなものだし
この世の大抵のシステムは、この設計図なしに
完成しえないものだという当たり前のことに
今更ながら納得しながら、目を通していたのである。
もっとも、スポーツのよさは筋書きのないドラマであり
人生は小説よりも奇なり、ということもあって
自分は随分、そうした考えに囚われ過ぎた感がある人間かもしれない。
つまりはあらかじめレールが敷かれた物語を
どこかで軽視してきたのではないかと言う反省である。
だから、時に勘違いをして
脚本なしに即興的に生じるドラマ性の方を
揚々として持ち上げたりしてきたのかもしれない。
無論、それは邪道ではないにせよ、
ちゃんとした設計図のようなものを下敷きに
物事を捉え、考えることもまた、人生なのだということを
今更ながらに考えてみようと思っただけのことである。
さて、前置きが長くなってしまった。
曲がりなりにも映画が好きで、小説や物語というものへも
長く浸ってきたことは間違いなく、
好きな脚本家はそれなりにいる。
とりわけ、名作を手がけている女流脚本家が好きだし
映画なら、水木洋子という成瀬巳喜男とのコンビが筆頭で、
もう一人は向田邦子という昭和のドラマに欠かせない
脚本家(小説家)が好きなのはこれまでにも言及してきた。
二人に共通するのは、女性ならではの
日常感、生活臭を意識した細やかな視線を持った
秀逸な“本かき”さんであったということに尽きるだろう。
シナリオの冒頭のエッセイで、
「決して、理想の家、夢の茶の間にしないことが、
愛されるテレビドラマの茶の間になるコツである」
(「女の人差し指」より)と本人が書いている。
なるほど、である。
まさに自分が昭和の風景への憧憬とリンクする言葉である。
このホームドラマがそうした下地で作り上げられ、
今尚、記憶の片隅にしっかりと根付いているのは
そうした理由なのだろう。
だから、脚本というのは、感受性のベクトルを
どこにおくかが問題であって
自己中心的なものや観念的なものとは
本来、相容れないものだと納得する。
そこが、映画作家自身が書き下ろす映画のための映画ではない、
共感するドラマとしての土台なのだということなのだろう。
言葉で書くといとも簡単に思うことだが
それを映像を伴ったドラマなり映画として
成立させるまでには大変な労力がいるはずだ。
当たり前だけれども。
『寺内貫太郎一家』の主人である石屋の貫太郎は
いわゆる頑固おやじそのもので、
課長としていつも威張っていて、全くもって独裁的である。
おそらく設定は昭和一桁の世代だろう。
時に暴言、暴力は当たり前だ。
だが、そレゆえに本質的な優しさや愛情が
よりダイレクトに伝わってくるのである。
無論、ドラマとしての誇張はあるものの、
昭和を生きてきた人間には、多少なりとも馴染みがあり、
決して他人事には思えない家族の風景なのである。
当然、向田邦子自身の父親のイメージが反映されており、
それは『あ、うん』や『父の詫び状』などでも
幾度として語られてきたテーマなので周知している。
とはいえ、当の貫太郎を演じた小林亜星という人は
作曲家であるものの、ズブの素人であり、
まして当初の父親像からはずいぶんかけ離れていたという。
我々、お茶の間の人間からすれば
貫太郎は亜星さんでなくては成立しないほどのインパクトで
すっかりイメージを刷り込まれてしまっているから
意外なのだが、そこは当初脚本家としての感性に
必ずしも合致しなかったのだろう。
本人も、日常ではそのイメージのギャップに随分とまどったという。
そもそも、このシナリオを読んで思ったのは
あくまで、テレビドラマを見た後に読み返しているので
そのイメージに引っ張られるのはしょうがない。
これが、逆であったなら、果たして小林亜星という人を
しょっぱな見たとき許容できたどうかは想像できない。
正直、そこまで考えはしなかっただろう。
そして、ここがポイントなのだが
TBSドラマという枠組みの中でプロデューサーであった
久世光彦という人のアイデアや感性によって味付けされ
向田邦子のエッセンスをよりうまく、
視聴者に訴えかけるに十分な演出を加味されたがゆえに
このドラマにあれだけ感情移入できたのだと
改めて思い知らされたことである。
だから『寺内貫太郎一家』はこの二人によって
作り込まれた共作物語だと言えるだろう。
久世〜向田ドラマはこれに限ったことではなく
昭和のドラマ史に燦然と名を残したのは言うまでもない。
シナリオにはなかった部分で言うと
若くして、老け役に挑み、
まさにはまり役となった悠木千帆(のちの樹木希林)演じるばあちゃんの個性は
あくまでテレビ演出の色が濃く、
ジュリーのポスターの前で可愛く悶絶するギャグに代表されるように
あれは久世マジックの一つだろう。
それだけではなく、このドラマの個人的にして最大に注目度は、
あの横尾忠則の出演である。
もちろん、ほとんど目立たない脇役ではあるが
一度画面に登場するや、流石に存在感があり
只者ではないオーラを漂わせている。
その横尾氏のイラストワークがオープニングで使用され
グラフィックの面においても斬新なドラマだった。
そこへ井上堯之の絶妙なタイトルソングが流れ
このドラマを忘れがたきものにしたわけだった。
まさに時代の寵児たる仕事っぷりである。
その上、茶の間もびっくりするほどは気力ある親子ゲンカは、
まさにこのドラマの醍醐味で悲鳴をあげながら
無意識に期待したものだった。
それらは概ね、久世演出の妙であったことを
脚本を読むことで納得できる。
むしろ、そうした演出が脚本の段階で盛り込まれていたら
これほど傑作になりえたかどうかは判断できかねる。
もちろん、向田ドラマとしてのクオリティは
脚本を読んでまた確かな思いがするが、
そこにテレビで鑑賞する上で、
エンターテイメント性に長けていた久世光彦の手で
仕上げられたことで、作品にコクが出たのもあるだろう。
冷静に見れば、ちょっと誇張しすぎの感も多々ある。
そのあたり、向田さん自身はいかなる気持ちだったろうか?
本人はひどく気にめしていたそうだが、
裏エピソードもそれなりにあるに違いない。
脚本はその物語の骨子である。
とはいえ、脚本がたとえ完璧であり
一寸の隙もなく出来上がっていたとしても
それをドラマなり映画なりにした時には
演出家をはじめとする演者達によっては
つまらなくなることもあれば
また、より以上に面白くなることもあると言うことだ。
それでも脚本の重要性は今に始まったことではないし、
自分が書いて、自分が演出し作品化するタイプの作家なら
ある程度、基本的な整合性は取れるだろうが
別々のタイプの場合はやはり相性だったり
呼吸が大事だったりするだろう。
その意味では水木洋子と成瀬巳喜男、
向田邦子と久世光彦の類稀なる絶品の関係性のおかげで
自分はこれまで十二分にその作品を楽しませてもらったわけだし
改めて感謝の念が込み上げる。
ちなみに、当時『寺内貫太郎一家』が好評だったがゆえに
第二弾も製作されたが
自分としては第一弾の方が圧倒的に完成度が高く
気乗りできる内容だった。
ドラマにせよ、映画にせよ
二匹目のドジョウを狙っても初動の感動は
なかなか得られにくいものなのだと思っている。
そういえば、第一シリーズ29話で、
キンばあちゃんとその大ファンであるジュリーが墓場で遭遇して
ばあちゃんが興奮して家族にそのことを話すのだが、
夏の暑い盛りに年寄りをひとり、外へ出すなよ、
というような感じでとりあってもらえないばあちゃんの哀愁が
忘れらず、記憶にのこっている。
いかにも、テレビドラマ的発想ではあるが、
演出の妙ひとつとっても実に味わい深いドラマとして
今尚、心に残っている昭和の原風景がある。
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