元テクノ少年が回想する細野観光敢行記
今、六本木夜の街を一人テクテク歩いている。
昔、この辺りに六本木WAVEがあったんだがな、
なんて呟きながらの、ある展覧会からの帰りである。
その展覧会の主役は、果たしてこの街が似つかわしいのかどうか、
そんなことを考えながら歩いている。
どちらかというと、下町の方がお似合いではないのかな?
などとブツブツと呟きは収まらず、
どうやら展覧会の内容のことはすでに忘れかけてさえいる・・・・
それにしても六本木ヒルズ 森タワー52階にある展望台から臨む
東京の夜景は絶品だった。
あれを見たさにエレベーターに乗り込む気持ちは理解できる。
不謹慎かもしれないが、
あの景観を見ていると、たとえ東京が沈没しても
しばしの間、安心の時間が約束されるんじゃないか、
などと呑気に思ってみたものだ。
だが、自分はここへ夜景を見に行ったわけではない。
別の意味の観光に、足を運んだのである。
そう『細野観光』である。
あの音楽王、細野晴臣の「デビュー50周年企画」
と銘打った展覧会を観に来たのである。
細野さんの音楽を愛してやまない人間からすると
なんとも贅沢で、なんとも楽しい時間を過ごすことができて本望なのだが、
いっぱしの美術展なみの入場料をとりやがる。
それが高いか安いか、判断はできかねるが、
細野さんがまだ在命であり、現役で音楽を作り続け、
ライブパフォーマンスをもこなすぐらいに身近であるがゆえに
なんとなく妙な感覚にも襲われる。
つまり、あたかも亡き細野さんを偲ぶような気持ちが
どこかで泉のごとくこんこんと湧いてきたりするものだから、
悩ましい限りである。
実際、この先嫌が応にもそういう時がいずれはくるのだろうから、
これは前哨イベントなのか?
いや、そんなことではないだろうが、
ここまで大々的にやられると
本番時のことが今からちょっと心配になってくる。
実に変な感覚が生じていることがお分かりいただけようか。
もっとも、そんなことを思うのは自分だけかもしれない。
そうした自由な思いをあれこれ夢想するために
わざわざここにやってきたのだけれど・・・
まあ、そんなことはどうでもよろしい。
どうにも枕が長くなってしまったようだが、
すでに一度トロピカル三部作についての記事を書いたので、
今回は、この『細野観光』への感想程度のことしか書かない。
書かない、のではなく、実際に書けないのだ。
というのも、実のところ、これは夢だったのではないか、
などという思いが少なからずあるのである。
全てを夢落ちにすれば、記事を詳細にわたって書く必要もないし
たとえトンチンカンなことを書き連ねても許されるかもしれない。
正直、いわゆるアートの展覧会ではないので
個人史を振り返っての、雑然とした感想しかわいてこない。
細野さんがはっぴいえんどからYMO、そして
この日本の音楽史に残した奇跡の偉大さを言葉にしたところで
果たしてなんになるのだろう、といういささか覚めた気持ちがあるのは
何を隠そう、細野さん自身がそういう飄々としたスタンスで
どこか人を食ったような人物でもあることに
勝手に後押しされている。
その辺は、大いに責任転嫁できる、
数少ないミュージシャン、アーティストなのである。
とは言え、誰もが細野晴臣を愛している。
ここに集った人はもちろん、足を運びたくとも運べなかった
世界の細野フリークの思いを背負ったこの展覧会の空気に包まれて
そのことだけは確信をもって書けることだ。
そうはいっても、そんなことで音楽王ハリー細野を斬ってしまうには
もったいないほど、宝石のような音楽を残してくれているのだから、
まずは、音楽を聴くべし、ということになるだろう。
「音楽は三分間の夢」うーん、素敵な言葉だと思うな。
心に響く。
しかし、その夢を語ろうというのだから大変である。
そこでまた面倒なのは
エイプリルフールからはっぴいえんど、そしてYMO。
そこからソロになり、プロデュース業や
数々のユニットを網羅して、眺めると
これはまさに展望台から臨む東京の夜景に負けず劣らず
実に渺茫たる世界で、
ジャンルもまた多岐にわたりすぎているものだから
やはり、簡単に語り得るものだとは思えなくなってくる。
やはりこれは夢だということにしておいたほうがよさそうだ。
それこそ、細野少年がコタツでラジオから流れてくる落語を楽しんだように。
細野ワールドを語るというのは落語の「芝浜」のようなものかもしれない。
細野さんの個人史を追いつつ、
これまでの楽器コレクションと細野文庫を眺めていたのだが、
細野さんが漫画好きだったことが
あの飄々とした細野さんの礎になっているのだな
ということにはたと行き着いた。
思わずニンマリした。
そうだ、漫画だ。
漫画の世界がどこか漂う細野ワールドってのも悪くはない。
なんでも間でも神格化すりゃいいってもんでもないだろう。
そこにいつしか精神世界なんかがはいってくることのなるわけだが、
これはあの横尾忠則の影響が大きかったのだろう。
そのことは細野フリークなら誰でも知っている。
インドにも連れ立って出かけているし、
アルバムも作っている。
事実横尾忠則が初期YMOのメンバーに予定されていたのは事実なのだから。
そして今回のテーマでもある「観光」。
ワールドミュージックをとことん追求した細野さんは
あの中沢新一あたりの影響で、観光というキーワードも掲げていたっけな。
モナドレーベル、実に懐かし響きだ。
まあ、それもこれも夢で終わってしまったが、
YMOがワールドワイドに発信した音楽が、
それまでの日本の文化をそのものをも変えてしまった事実は
自覚があろうとなかろうと、
やはり一つの事件として今尚刻印されている事実である。。
それがわが個人史との重なる部分でもある。
初めて細野さんを知ったのがYMOだったのだから
それは当然、ということになるが、
そこから入り込んで、その前後をそこから追いかけてきたが
やはりどこまでいっても果てしがないのである。
だから、はっきりと自覚できたことは
『細野観光』なるものは、あくまでガイドブックに過ぎないのだと。
それを追いかけても終点がないのだから、
網羅して理解して、得意げになることは
諦めなければならない、ということを
改めて理解して帰ってきたのである。
ところで、細野史を眺めていて、
当然YMO以前の歴史については、
どう頑張ってみても後追いしかできなのであるが、
とりあえず、YMOだけはリアル体験できたことを
今、素直に素敵なことだったと思い返している。
あの音楽と同時代に多感に生きてこれたことが誇りに思えるのだ。
全く、個人的な話でいうと、
YMOをリアルに聴いて感動していたにもかかわらず、
当時はどこか覚めた視線を投げかけていた
こ生意気な中学生であったことが少しこっ恥ずかしい。
今でもはっきり覚えているが
YMOのファンを自称する同級生の前で
YMOなんて所詮クラフトワークの二番煎じなどと
生意気な口を利いてしまったことを。
それでいて、誰よりも早くテクノカットを試みた中学生であったこと。
いっぱしの校則厳しい私立に通っていたがゆえに、
たかがテクノカットにさえ、検閲が入って、
翌日には丸坊主になっていた。
それこそ青々としたアタマをしてたっけ・・・なんとも言い難い青春が蘇る。
それから、YMOは人生の導き手となって
魅惑的な音楽を提供し続けてくれた。
それに乗っかって生きてきた。
成人して、どこかで一人YMOと呼ばれることもあった。
つまり三人それぞれの何をとった
一人のこ生意気な人間に見えたのであろう。
今思えば、何を隠そう、もっとも近しかったのが
細野さんということになるのかもしれない。
教授のようなキレもなく、ユキヒロのようなイキなく
なんだか飄々として、ぼーっとして
それでいて真の実力者としての細野さん。
いやはや、そんな神になぞらえるのは
ちょっとおこがましいすぎるか。
注)この記事は二年前の『細野観光』を観た、感想記をひっぱりだしてきたものです。
エイプリル・フールにはじまった細野回想録ということで、
最後に、マイフェイヴァリット細野ナンバーのソングリストをYOUTUBEで拾ってみました。
あくまでも、個人的な選曲なので、これを聴け、なんていうおこがましさは
いっさいございませんのであしからず。
なんだか、細野さんが亡くなったときの言い訳みたいな書き方だな・・・
ぼくがこれまで聴いてきた限りの細野フェイヴァリットチューンズ BEST10
悲しみのラッキースター from『HOSONOVA』
Gradated Grey from『テクノデリック』
YMO時代の曲はスラスラ出てくるんだけど、ま、その中で一曲だけというくくりで『テクノデリック』のこのナンバーを選びましょうか。
オリジナルのYTドラミングも大好きなんだけどね
ただ、このアレンジがとてもよくて、オリジナルとは全然違うんだけど、ま、そんなことはこの際問題ではありません。
若手のミュージシャンのなかで好好爺のごとく、
円熟の境地をみせる音楽仙人。いいな。
Sports Men from『フィルハーモニー』
元来、スポーツマンからは程遠い人がそんな歌をうたっている。
毎年、運動会の季節になると、ぼくはひとりこの曲で勝手にスポーツマンになる。
なったふりで、やりすごす。
もちろん、運動音痴なアンチスポーツマンだけど・・・
Good Morning,Mr.Echo from『SWING SLOW』
ギター弾きとアコーデオン奏者。
カントリーテクノっていうのかなんなのか。
のどかでじつに初々しい。
なんか、じつに、浅草の舞台にたつ
息のあった夫婦漫才コンビみたいな感じだね。
音楽的な相性もばっちりだ。
「週末」吉田美奈子 from『扉の冬』
アルバムごと大好きな吉田美奈子の「扉の冬」」からの
細野さんのベースラインがたまらない「週末」を。
で、ティンパンバックの2000年ライブバージョンがあったので、これを。
「ほうろう」小坂忠 from『ほうろう』
このアルバム、渋くて大好きなんだけど、なかでもこのタイトルチューン。いいね。エイプリルフールからの盟友小坂忠の名盤『ほうろう』 にもしっかり細野さんの影がございますね。
『恋は桃色』from『HOSONO HOUSE』
このアルバム、渋くて大好きなんだけど、なかでもこのタイトルチューン。いいね。エイプリルフールからの盟友小坂忠の名盤『ほうろう』 にもしっかり細野さんの影がございますね。これもまた名曲ですねえ。
あっこちゃんのピアノ、細野さんのベース&ボイス。
あえてあっこちゃんとのデュオで聴けるこのバージョンを。
徐々に、円熟の渋みがましていくころの細野さん。
でもないか、もとからすでに円熟の境地に入っていた仙人だからなあ。
Exotica Lullaby from『トロピカルダンディー』
「妖精の粉ふりかけりゃ、ほら、からだが浮かぶよ」
エキゾチック満載の名盤『トロピカルダンディー』のラストをかざる名曲「Exotica Lullaby」
このリズムの訛りがたまりません。
こんなエキゾチックな子守歌で育つ赤ん坊が羨ましいな。
ありがとう from『東京シャイネス』
なんでしょうねえ、『ありがとう」という言葉の響きが
マジックのように聴こえるから不思議。
東京シャイネスでの小坂忠とのデュエットがあったので、これをとりあげてみます。
風を集めて from『風街ろまん』
一曲だけ、ということになると、それはもう、これしかないんじゃないでしょうか。
YMO、はっぴいえんどやティンパン、ソロ、そしていろんなユニットと多種多彩な細野ナンバーのトリを飾るのは「風を集めて」。
だれも文句はありますまい。
そして、このお茶目さこそが細野さんなのですものね。
細野さんのように生きることはできないが、細野さん的なものにひたったり細野チックな気分になることだだれでもできる。
この曲はそんなことを教えてくれる。
青葉市子嬢とのデュオが最高なんだけど、このPVの出来がいいんで、こちらでいきましょう。