吉田喜重『エロス+虐殺』をめぐって

エロス+虐殺 1970 吉田喜重
エロス+虐殺 1970 吉田喜重

さらば不穏な日々。今こそ、かっかっかっか、革命家の吃り歌を聴こう。

生には広義と狭義とがある。僕は今そのもっとも狭い個人の生の義をとる。この生の神髄はすなわち自我である。そして自我とは要するに一種の力である。力学上の力の法則に従う一種の力である。

大杉栄『生の拡充』より

名ばかり、形ばかりの政府の元に
巧みに飼いならされた国民が、
この不穏な日々を強いられていることに
どこまで自覚があるのだろうか?
そんな犬畜生にもおとるこの境遇を、
このまま無自覚で生き続けるなどということがあっていいものか?
そんな、生きる屍にはなりたくはない!
目覚めよ自我よ!
もし、この人が生きてたらそう叫ぶだろうか?

明治の革命家、アナーキスト大杉栄の実話を元にした
吉田喜重の代表作『エロス+虐殺』ロングバージョンを
今こそ見直してみよう。
てな訳で、こちらはオリジナル版に近づけた三時間三十六分バージョン。
うーん、とにかく長いんです、がやっぱり見応えはあるな。
本作で、正岡逸子という役柄のモデルであった
神近市子の提訴を受けて、
名誉毀損、プライバシー侵害問題(結論は却下)へと発展し、
長尺すぎるというATGの興行上の理由からも
短縮を余儀なくされて上映された、曰く付きの作品。
短縮版をみていないので、なんともいえませんが
確かに、もう少し、短くはできたはずだな。

吉田喜重のスタイルは想像通り、
「松竹のヌーヴェル・ヴァーグ」などとよばれていただけあって
これは、他の日本人監督にはない斬新な画風が目を惹く。
しかもATG発。
まさにアナーキーin 70’s。
一柳慧の音楽がかぶり、
エイプリル・フールによる「サイケロック」が鳴っているぞな!
そしてハイキーな露出処理による映像で
大正と昭和の時間軸が入り乱れる。
言葉で書くとなんだか陳腐に響きますが
映像にはかなりの力があります。
ただし、それほど「難解」とは思わなかった。

ちなみに、通俗的なエロスなど微塵もありませぬ。
そんなものを期待する輩は、まずいないと思いますが、
そんな風な連想を抱くものから順次、
虐殺されてゆく映画でもあります。
ただし、革命家として選んだ、わがままな自由恋愛を掲げ
ある種、男のゴーマニズム宣言、と言えなくもない。
この観念の恋愛劇こそは、皮肉にも
大杉栄の生の側面を、
高らかに謳ってみせているものの実態なのかもしれない。

よって、革命家/アナーキスト、社会運動家大杉栄の姿が
政治的な文脈よりも「自由恋愛」というくくりで
お相手伊藤野枝との関係が主体に描かれている。
演じる細川俊之ですが、確かに「色男」とはいえ、
革命家としてはちょい線が細い気がしないでもない。
そのあたりのトーンが、面白いと言えば面白いけれども・・・

ちなみに、大杉栄が唱える三か条とは、
1.互いに経済的に自立する
2.同居することを前提にしない
3.互いの性的自由を保証する
うむ、表向き、響きはかっこいいですがねえ、
革命家というよりはやはり、エゴ男っぽく聞こえますよ。
結局大杉は女に養ってもらっているわけだから、
矛盾を追求されても文句言える立場ではないな。

そして「日蔭茶屋事件」という
いわば、三角関係のもつれで
神近市子(正岡逸子)に逆襲を受けるはめに。
このときは奇跡的に生き延びるが、後にキッチリ虐殺されてしまう。
だから、映画上の「虐殺」は観念的なものでしかないのだな。
そのあたり、吉田喜重は巧みに映画を操ってみせるわけだが、
あのふすまのパタパタ倒れる様なんて、
まるで鈴木清順を彷彿とさせる見事な演出ではありませぬか!

で、この事件を研究する女子学生・永子
伊井利子と和田究の原田大二郎がこの映画のもうひとつの時間軸。
ここには世俗のエロスとは無縁の観念のエロスという扱いで
ハイキートーンによってイメージ化される夢の世界が続きます。
70年当時の学生運動を引きずった空気感。
そして自由を求める意志が反物語として処理されています。
ちょうど同じ時期に撮られた
実相寺昭雄の『無情』や「曼荼羅』なんかとも
共通する、虚無的な性の空気感なんだろうな、これは。

そういえば、原田大二郎の部屋に貼ってあったのは
アンドレ・ケルテスの写真、ジプシーの裸の子供たちのキス
あれですね、The Pop Groupの名盤のジャケット、
『For how much longer』 を思い出しました。
個人的には大杉栄よりは、野枝の元夫の辻潤の方が惹かれますねえ。
ここでは渋い高橋悦史が演じておりますが、品があります。
それと、やっぱり岡田茉莉子さんですよね。
この頃の茉莉子さんはどこか神々しいオーラがあります。
小津や成瀬映画では決して見られない、
気高い内面の強さ、強固な意思をのぞかせるのです。

それとこの映画をみて、
保守派評論の重鎮、西部邁さんのことがふと頭をよぎりますね。
リスペクトできるごく少ない批評家の一人でした。
若い頃から舌鋒鋭く、なまっちょろい日本評論家たちの中で
常に一本スジの通った言論で、終始保守の真髄を訴え続けた巨人。
そう言えば西部さんも大杉栄と同じく吃音だったっけな。
吃音、つまり吃りってやつはは言葉が滑らかに出てこない訳で
頭の中、感情といったものが
まずは先にあって、それをいかに前面に出そうとしても
この吃音がそれを邪魔をする。
邪魔をするから抵抗する。
だからこそ革命家へと向かわざるをえない、
という法則があるわけではありませんが、
その心情の熱さにおいては、吃音というのは
革命家のキーワードなのかもしれないな。

さて、最後に「春三月縊り残されて花に舞う」とは
大逆事件によって弾圧され処刑された
明治のアナーキスト幸徳秋水に向けて詠んだ
大杉栄の句であるわけですが、
映画の中では、大杉と野枝が桜並木を歩くシーンに
字幕とともに被されるのだけれど、
われわわ日本人心をくすぐる美しいシーンとして、
度重なる政府主導の愚策の前に、なすすべなく漂う閉塞感に
この桜舞う、美しい日本の夜明けを重ね合わせ、
一足先に、ここにその革命の志として
記しておくと致しましょうか。

革命を叫ぶに似つかわしい3枚のアルバム

THE POP GROUP :For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder ? 

音としてはどんなパンクよりこっちの方が、アナーキーな音だと思うよ。ケチャっぽく聞こえるイントロ。
今聞いても「Fores Of Oppression」のギターリフはかっこいい。これはギャレス・セイガーかな。
このわが青春のThe Pop GroupはRip Rig+Panicと流れつくる元祖ブリストル派。このケルテスの写真のジャケが大好きでしたね。レコード盤はぼくのお宝になってます。

THE APRYL FOOL:APRYL FOOL

はっぴいえんどが日本語ロックの革命的バンドであることは、
今更いうことでもないけれども、前身『APRYL FOOL』であの細野さん自身が、アグレッシブな音の革命に参加しているだけで貴重なこのバンド、このアルバムのアナーキーさもまた、
日本音楽史に燦然と輝く事件のような気がしているんだけれども。

The Rolling Stones : Exile on Main St.

こちらは革命児というよりは「不良」という方が似つかわしいか。ま、音の革命、思想的な革命の話はさておき、自由恋愛という意味合いでなら、やはり、この人の圧倒的な魅力の前に、敵いませんね。
ミック・ジャガーが一体どのぐらいの自由恋愛を重ね、その成果を残したかなんて野暮は抜きにして英雄色を好む、革命家と女は切っても切り離せません。男として、オスとしての魅力は革命家には必須の条件のような気がします。
このアルバムは、ストーンズファンの間でも評価が分かれるところかもしれませんが、僕は結構好きな一枚で、その名も『メイン・ストリートのならず者』いかにも不良集団にふさわしい邦題がついており入門盤としてもいいかもしれない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です