勝劇の王道、ブラボー市は業を斬る
座頭市といえば勝新、勝新といえば市。
言わずもがな、専売特許と申しましょうか。
このイメージは勝新亡き後、
いくら月日を経ようとも変わることなどないでしょう。
作家子母沢寛の書いた盲目の剣豪についてのごく短い話から、
このもっとも知られた盲目の侠客キャラクターが
ここまで自由にキャラクター化され、一人歩きして
出来上がった26話にわたるシリーズ、
その上、テレビ版は100本を数え、
もはや、市は勝新のもう一つのペルソナとして
マニアならずとも、その闇をさすらう旅人として
記憶を一人でに行き来する永遠のアウトローであります。
この一つの世界観を創造しえたのは、ひとえに
勝新のこだわり、美学、
何より市に注いだエネルギーの結晶でございましょう。
ハンディを背負ったヒーローが、
単なる時代劇や活劇といったフィクションの枠を超えて、
世界中に支持されるキャラクターとなり、
我々映画ファンを楽しませてきた事実、
今更ながら、実に感銘深きことこの上なき思いが募るばかり。
いったい座頭市とは何者だったのであろうか?
座頭とは江戸期における視覚障害者の階級であり、
その頂点は検校と言って盲官の最高位でありますが、
勝新はそれを『不知火検校』の中で
白塗りの汚れ役として見事演じたことをきっかけにして、
今度は市井の按摩に仕込み杖を持たせることで、
このキャラクターを生涯追求し続けた
いわば手塩にかけた役と言っても過言ではござらぬ。
目が見えないが居合い斬り名人、滅法強い剣士。
見えないということを前提に切り開かれる世界をどう描くのか。
それだけを強調すればただの超人ハンディキャッパー。
そこににじむ人間性、深い業を背負った人生観において、
按摩ヤクザ座頭市に絡む人間臭さにその魅力がにじみゆく。
それは「市っつぁん」として、時に「メクラ」やくざとして。
あのバルチュス画伯やカストロ、ジャッキーチェンまでが惚れる男。
それも無理もない。
そりゃあ寅さんにも味はございますがね、
やっぱり、カツシンの座頭市にゃあ及びますまい。
ところでリメイク版もいくつかあるなか
タケシが演じた市は、そのふところの深さから生まれた、
産物(オマージュ)でしかありませんからねえ。
挑戦することにゃやぶさかではないけれど、
やはり、全然違う別もの、比べるまでもいきゃあしない。
ごめんなさいよ、とここはひとつ思い切って切り捨てさせていただきやしょう。
その前に比べるなら、『悪名』の朝吉、『兵隊やくざ』の大宮
さて、誰が一番魅力あるキャラかと思いあぐねてみるが、
それぞれ甲乙つけがたいものだから答えがでねえところだが
真夏の甲子園、延長18回引き分け再試合、
あたかもそんな感じがする堂々巡りの挙句、
ひとことでいうと、
みんなそれぞれに贔屓にしてしまうツボがございましてね、
見所といってもいいんでしょうか。
『悪名』の朝吉は、シャイだが正義と義理を重んじ、
喧嘩はめっぽう強いが女にも弱い、おまけに情が深い。
三大キャラのなかでもっとも「男前」かつ常識人。
ちょっと頭が固い、いわば古風な任侠道を生きるアウトロー。
よって、どこか説教臭いところもある。
勝新自身はちゃきちゃきの江戸っ子なのに、
こちらは河内弁達者は見事、河内音頭が歌えるが、
酒がまったく呑めないというキャラは単なる照れ隠しか。
「わい、奈良漬けの匂い嗅いだだけでも顔、赤こうになりますねん」
と言うセリフが忘れられません。
一方、『兵隊やくざ』の大宮は痛快ではあるが情動的。
有田上等兵なしでは生きられぬ弱さを見せながらも
天真爛漫で、戦場とはいえ、常に楽天主義者。
もちろん、喧嘩は誰にも負けない。
階級社会なのに、まったくおかまいなし、
目には目を、暴力には暴力を。
いわば、反逆児(アナーキー)なわけだが、
軍隊にとらわれながらも、明日は明日の風が吹くとばかり、
さぼること、女のことばかり、考えている。
でも、究極に犬ころのように人懐っこいところがある。
実はけっこう仲間想いで、
もちろん、自分にやさしくしてくれた有田上等兵のことを
一番に考えている純な男。
芸達者で、浪花節を披露してくれたりして、兎にも角にも憎めない性質。
だが、そんなキャラクターたちとは、一線を画すこの市の場合、
むろん、朝吉と大宮がもつ側面を共有しつつも、
さらに積み上げた演技のすごみ、
人を斬らずして生きられない宿命を背負った
ダークヒーローってのが根底にあるからして、
その闇は殊の外深くて暗いのであります。
この際、野暮な比較をしてもきりがない。
だけども、やはり市は特別な存在だ。
勝新にとっても、勝新ファンにしても。
そんなこたあわかりでしょう。
この座頭市を追ってみていると、
市っつぁんって人は、どこかしら人生の
酸いも甘いも知り尽くした、ある種の賢者って感じがする。
俗っぽいといやあ俗っぽいが、じつのところ、達観もしている。
何しろ、「斬っちゃならねえ人を斬った時には目先が真っ暗になっちまう」人だ。
なんなら、「はなから目先は真っ暗だよ」という
この生まれながらの目無し草を恨みたいところだ。
だが、それはお天道様に誓っていえないのである。
向かってくる敵は斬って捨てなきゃ我が身危なし、
この因果の無常観を背負って生きていくしかないのである。
そういう意味で、座頭市って、哲学的なんだなあと思わせる。
やろうと思えば、サイコロに細工して場を荒らす事もできる。
古典落語「看板のピン」からの引いているのだろう。
サイコロをわざと壺の外に落として、その目張らせておいて、
散々儲けさせておいて、最後は全額を賭けたところで、
おっといけねえ、と落ちたサイコロを引っ込めて、
壺を開けると、見事に逆目が出てチャンチャン。
こうしたイカサマを得意としているのだ。
また、自分に惚れた女も泣かせたりするなんざザラだ。
憎い男ではあるが、なんたって背負ってるものが違う。
そんじょそこらの悪党以上の業から逃れられない。
そこがこの男の行く道を一途に照らし出しているって事だ。
けっこう、心の葛藤を全面に押し出すところがある、ってんで
こちらもより情動的ではあるが、
絶えず一歩どこかで引いてみているようなところも持ち合わせているあたりに
賢者っぷりをみるというわけなんだな。
自分で蒔いた種は刈り取るけれど、
できれば、素通りしたい・・・
面倒なことには関わりたくないが、
しかし、降りかかる災は自ら振り払わねばならない、
という間で、実に人間臭いところを行きつ戻りつする様が
市っつぁんの最大の魅力だと思っておりやす。
究極の蔑視である「どめくら」と、こ馬鹿にされ、
「目が見えない」ことを逆手に取って笑うしかないわけが、
その中で、反動として体得した居合い斬りでしか、ことは解決しない。
目開き衆を唸らせるには力でしかないのだ。
それで悪党たちはみな、
これを見てションベンちびるほどに震え上がるが、
はっきり言って、目が見えないことの裏返しとして、
与えられた強度こそが居合だ。
居合という技を持たない座頭市はたかがあんまだ。
よってそれもまた必然というわけだ。
何もかも望まざる方向へ流れてゆくアウトローの孤独。
そこに惚れるのだ。
流石に、サービス精神が生き過ぎて、
多分に嘘くさいところもありありで
そこがまた座頭市というフィクショナルな魅力である。
まあ、市っつぁんだからなにやっても許せるってもんだが、
おいおいと思うこともままある。
でも、決めるところはちゃんと決めるのが居合斬り。
『座頭市鉄火旅』では畳を
『座頭市海を渡る』では空中飛ぶスイカ四等分して、たたみにきっちり落とす。
で、それをさわると、見事コロンと四等分!
飛んできた矢をまっぷたつでそのまま戸に打ち付けるとか、
将棋盤とか、一文銭とか、サイコロ、とか、
まむし、ハエってのもあったな。
『笠間の血祭り』じゃ、相手の眉毛を剃り落とすってのもあったっけか。
まあ、茶碗やとっくりなどは朝飯前。
こう言うの、考えること自体が楽しんだろうな。
もちろん、人間なんてのは、ちょろいちょろい。
毎回毎回、相当数の人が切り捨てられる。
でもできれば斬りたくはないって言う思いが市の業として描き出されている。
だから、剣を抜くと言う時の緊張感、
それにたまらなく、宿命というか、ある種の覚悟を感じさせる。
一旦剣を抜いて。そこは逆手斬り。
とにかく、立ち回りだけで魅せてしまうのがこのシリーズ。
ラスト作品『座頭市』ではその熱が高じて、真剣での事故が起きてしまう。
ある意味、勝新らしい不慮の出来事だった。
しかし、その甲斐あって、というと語弊はあるが、
この老いたる座頭市もまた素晴らしい出来栄えのものが集大成として残った。
これまた神話であろう。
とにかく、勝新自身がメガフォンをとると
どうにもこうにも、絵がアヴァンギャルドになりすぎるきらいがあって、
まさに、やりたい放題、アイデア満載の画づくり先行型になると言われてきたが
勝プロでの第二作『折れた杖』などは、その最たる作品として
評判の方は当時から、全くよろしくないのだが、
逆にいえば、勝新でしか撮れない映画として、
今となってはその早過ぎた才能を惜しむほどの、
真のオリジナリティに溢れた座頭市が堪能できるという見方もできる。
三隅研次や森一生と組んだ娯楽の決定版もいいが、
個人的には、むしろそんなはちゃめちゃながらにも
ただ面白いもの、人をあっと言わせるものをひたすら追求する勝新の姿勢こそ
究極の映画バカ、呪われた映画作家としての面目躍如を見て取るのである。
- 1962 座頭市物語 三隅研次
- 1962 続・座頭市物語 森一生
- 1963 新・座頭市物語 田中徳三
- 1963 座頭市兇状旅 田中徳三
- 1963 座頭市喧嘩旅 安田公義
- 1964 座頭市千両首 池広一夫
- 1964 座頭市あばれ凧 池広一夫
- 1964 座頭市血笑旅 三隅研次
- 1964 座頭市関所破り 安田公義
- 1965 座頭市二段斬り 井上昭
- 1965 座頭市逆手斬り 森一生
- 1965 座頭市地獄旅 三隅研次
- 1966 座頭市の歌が聞える 田中徳三
- 1966 座頭市海を渡る 池広一夫
- 1967 座頭市鉄火旅 安田公義
- 1967 座頭市牢破り 山本薩夫
- 1967 座頭市血煙り街道 三隅研次
- 1968 座頭市果し状 安田公義
- 1968 座頭市喧嘩太鼓 三隅研次
- 1970 座頭市と用心棒 岡本喜八
- 1970 座頭市あばれ火祭り 三隅研次
- 1971 新座頭市・破れ!唐人剣 安田公義
- 1972 座頭市御用旅 森一生
- 1972 新座頭市物語・折れた杖 勝新太郎
- 1973 新座頭市物語・笠間の血祭り 安田公義
- 1989 座頭市:勝新太郎
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