中島貞夫『ジーンズブルース 明日なき無頼派』をめぐって
中島貞夫による和製ニューシネマ、 といった風情のなかで二人の逃避行は、加速する。 はじめは単に金の持ち逃げだったのが、 人を巻き込み殺人にまで発展する。 最後は、その渡瀬の上をゆく肝っ玉っぷりの 梶芽衣子節が炸裂するのだ。
中島貞夫による和製ニューシネマ、 といった風情のなかで二人の逃避行は、加速する。 はじめは単に金の持ち逃げだったのが、 人を巻き込み殺人にまで発展する。 最後は、その渡瀬の上をゆく肝っ玉っぷりの 梶芽衣子節が炸裂するのだ。
ラストシーンは驚くほど能天気な執行猶予付きのカップルが 颯爽と自転車で楽しげに並走して終わる。 この無常観は、風呂場でいとしげに死体を清めた 室田日出男の哀しさとは真逆のものである。 快楽と無軌道は唐突なことで日常を揺るがすものだが、 といって、誰もがそこで立ち止まることはない。 川の流れのように続いてゆくのだ。 やるせない気だるさだけがそこにある。 そうした空気が全身にまといついて離れない。 ちょっとした衝撃を受けた。
少なくとも、好きになった映画の、 そのたまらない空間の中に俳優に恋をする、まさにそんな感覚に過ぎない。 言うなれば、その映画が傑作であれ、駄作であれ、 俳優だけで観れてしまう映画というものもまままある。 その俳優が写っているだけで、何かを話したり、何か気になる仕草をしたりすることで 我々観客の心を奪ってしまうほどの存在。 ここでは、そうした比較に基づいて書き始めようなどという大それた考えは一切ない。 ただその映画が好きだという理由を あえて俳優目線に落とし込んで考えてみたい、それだけのことなのだ。