大竹伸朗

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ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.40 ポストパンデミック前編:アートでぶらり、美術鑑賞特集

絵を描くことは実に楽しい時間なのだが、 それと同時に、他人が描いた絵を見るのも、 これまた楽しいものである。 人間の個性とはつくづく、その人にしか宿らないことを教えられる。 絵は言葉とは違うものの、それでも人間性が如実に現れる。 アートとひとことでいっても、落書きもあれば、ファインアートもある。 また、コテコテの現代美術やコンセプチュアルアートまで、実に多種多様だ。 それこそ名の知られた画家の作品はいざしらず、 近頃では、素人画家や日曜アーティストにとって、 表現の場はいくらでもあるし、そのメディアもさまざまである。 デジタルを使えば、瞬間的なアートがその場で生成されてしまう時代だ。

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東京国立近代美術館「大竹伸朗展」のあとに

16年ぶりという東京国立近代美術館での「大竹伸朗展」では、 視覚にさえも重力が加わるのを改めて知った。 巨大なキャンバスはもちろん、 日常の漂流物をスクラップブックに詰め込み、 さびれた小屋をまるごとセット化し、 その究極が「ダブ平」という音響装置としての舞台を構築する。 大竹伸朗という巨人の、まさに、これら膨大で圧倒的な作品群への印象を、 あえて、陳腐な言葉や耳慣れない表現で置き換えてゆくことには、 こちらも深く注意を抗いながら、 全てを一瞬にして無に記される瞬間瞬間に出会ってしまった現実の前に 立ち尽くす。 だが、不思議にもそれゆえに、魂が浄化されてゆく快楽に溺れてしまうのだ。 これが芸術の快楽と呼ぶか、呼ばないかは自由である。

大竹伸朗 1955ーアート・デザイン・写真

大竹伸朗という画家

もっとも、大竹伸朗は現代美術の作家という枠に 収まりきれないアーティストだと最初に書いたように その可能性が無限に広がりを見せるアーティストである。 仮に、あたまでっかちな感じでとらえているひとには、 まず、絵本『ジャリおじさん』をおすすめしよう。 子供ならずとも、まずは大人が読むべく絵本なのかも知れない。 「ジャリ ジャリ」という「こんにちは」という挨拶の言葉で始まる。

大竹伸朗「ジャリおじさん」アート・デザイン・写真

大竹伸朗『ジャリおじさん』のこと

理屈や常識で測り得ないものを、 ひたすら衝動とその熱情とともに放出するスタイルを貫いてきた 大竹伸朗という一人の異端なアーティストが、ふと立ち止まって海を見ている、 そんな絵本でもある。 そこに子供たちに向けたメッセージを絵本に認めた。 それが『ジャリおじさん』であり、合言葉「ジャリジャリこんにちは」を発して 出会う人間たちに、どこまでも不思議なコミュ力をもって伝播してゆくのだろう。

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デヴィッド・シルヴィアンをめぐって(後編)

さて、ジャパン時代には、あくまでもアート嗜好の強い 美意識にこだわりのあるミュージシャン といった域に過ぎなかったデヴィッドが ヴィジュアルアートを強く推し進め始めたのは、 解散後からだといっていい。 ソロファースト『Brilliant Trees』のリリースあたりで まず、一冊の写真集『Perspective』を発表する。 これは主に、身内の人間やレコーディング時に関係した 仲間内を撮影したポラロイドを合成して 一枚の絵に仕上げると言うもので、 言うまでもなくデヴィッド・ホックニーの亜流である。