京マチ子

他人の顔 1964 勅使河原宏文学・作家・本

勅使河原宏『他人の顔』をめぐって

文学と映画というのは、基本、似て非なるものであるが 映像化されても、その中身が害われず むしろ、視覚的な魅力が加味されて新たなる傑作然として 今なお記憶に刻み付けられているのが『砂の女』であったが、 その作品を映画化した勅使河原宏によって またしてもこの『他人の顔』も原作の妙味を残しつつも、 映像言語としての面白さを引き出し、 新たな発見を見せてくれた作品として、忘れがたい記憶を刻んでいる。 いずれも安部公房の小説があらかじめ映像を意識して書かれたように思えるし、そこを加味し脚本をアレンジしているのもミソだ。

羅生門 1950 黒澤明文学・作家・本

黒澤明『羅生門』をめぐって

人間が抱え込んだ闇の深淵を解明しようとしても不毛だ。 そんな芥川の別の短編『藪の中』をモティーフにした世界を、 世界のクロサワが映画化した名作『羅生門』は やはり見応えがある力を持った映画である。 まずはセットの素晴らしさだけでゲイジュツ品。 そして、宮川一夫によるカメラワークの巧みさだけで一級品。 光の美しさの見事な造詣にうっとりさせられる。

浮草 1959 小津安二郎映画・俳優

小津安二郎『浮草』をめぐって

ウキクサ、その響き通りの水中の浮遊植物は 俳句では、夏の季語として知られるように、 春にぷっかりと現れ、秋にはさらりと消え、 その後水底でもごもごと越冬するといわれている。 昔から、浮草稼業とはよくいったもので、 よりどころなく、一つの場所に落ち着かない職業にたとえられるが、 そんなタイトルの映画がある。 小津安二郎、1959年の『浮草』である。

雨月物語映画・俳優

溝口健二『雨月物語』をめぐって

その役は朽木屋敷に棲まう死霊であり、 話のなかで、そこだけしか登場しないにもかかわらず その存在感たるや、かなりインパクトの強い役柄である。 能面のようなメイクと艶やかなで陰影ある魔性の女。 相手が森雅之演じる陶工源十郎で 命からがら屋敷から逃げ帰るシーンが圧巻だ。 藤十郎が過ちを悔い、家に帰らせて欲しいと懇願するところへ、 老女と姫が狼狽し、クライマックスを迎える。 織田信長に滅ぼされた朽木屋敷の若い姫君の 哀しい思いを背負いながら、無念とともに消え去っていく情念。 老女毛利菊枝とのコンビにおける怨讐の恐ろしさは 昨今のホラーにはない、独自のムード、美意識を漂わせている。 まさに魔に憑かれた男の無常感がそこはかとなく漂う中 奇気たるまぐわいの宴の余韻が残る