デヴィッド・シルヴィアンをめぐって(前編)
ポップミュージックの垣根を超えて 実験的、先鋭的なジャンルで孤高の活動を続ける デヴィッド・シルヴィアンと言う音楽家のことを書き始めると まずはその音楽家としての側面、 あるいは歌詞やコンセプトに置ける宗教的、思想家的側面 そしてアートヴィジュアル的側面、といった分野で それぞれ丸々一冊の膨大な本になってしまうほど 実に示唆に富んだアーティストであることに 今更ながら驚きを禁じ得ない。
ポップミュージックの垣根を超えて 実験的、先鋭的なジャンルで孤高の活動を続ける デヴィッド・シルヴィアンと言う音楽家のことを書き始めると まずはその音楽家としての側面、 あるいは歌詞やコンセプトに置ける宗教的、思想家的側面 そしてアートヴィジュアル的側面、といった分野で それぞれ丸々一冊の膨大な本になってしまうほど 実に示唆に富んだアーティストであることに 今更ながら驚きを禁じ得ない。
とまれ、この桃色素肌の風を纏い、 ボッティチェッリ、春のヴィーナスの庇護の下 森羅万象、息づく生命にかしづきながら、 一足先に、春をおとどけいたしやしょう。 まずは、春を共に楽しむ音楽編からスタート!
武満さんの凄さは、その精神の自由さ、 であると同時に、僕にとっては 美術やとりわけ映画への造詣の深さが半端じゃない人 という側面が大きい。 それは若くして出会った運命の人 詩人瀧口修造直系の影響をもろにこうむっているところからくる。
流れゆく雲、廃屋のようなセット、 水溜りに浮かんだ顔が風で震える。 白い馬。そして子供と老人。 「i(私)」と書かれた風船が空に舞う…… イメージの断章、それは記憶の中の一風景なのだろうか。 ミュージシャンのポートレイトでその名を知られ、 数々のミュージッククリップや映画をも手掛けている オランダ人の写真家アントン・コービン、 そのプロデュースによるデヴィッド・シルヴィアンのシングル 「Red Guitar」(1984)でのモノクロームのクリップビデオに登場するのは、 英国の写真家、変わり種アンガス・マックベインという老人である。
そこにジャパンという、真可不思議な存在のロックバンドがあった。 リーダーであったデヴィッド・シルヴィアンは、 かつて“世界で一番美しい男”と称されるほどに眩しい存在であり、 その実弟のスティーブ・ジャンセン、 学生時代からの親友ミック・カーン、 同じく校友であったリチャード・バルビエリという 気心の知れた四人で結成されたジャパンは、 その後、広告をツテにやってきたロブ・ディーンを加えた五人で ポストパンク地において、1978年本格的にデヴューを果たした。