アニエス・ヴァルダ『幸福』をめぐって
そんな幸福な夏に、 アニエス・ヴァルダのことをふと考え そして彼女の作品がみたくなる瞬間が襲ってくる。 それは、彼女の作品にある一定の季節感が伴っているからだといえるのだが、 1965年のその名も『幸福』などは、 まさにまばゆい夏の光線に満ちた映画として 脳裏に焼き付いている作品である。
そんな幸福な夏に、 アニエス・ヴァルダのことをふと考え そして彼女の作品がみたくなる瞬間が襲ってくる。 それは、彼女の作品にある一定の季節感が伴っているからだといえるのだが、 1965年のその名も『幸福』などは、 まさにまばゆい夏の光線に満ちた映画として 脳裏に焼き付いている作品である。
それにしても、なんてステキな映画だろう。 人生の素晴らしさが、 宝石のように至るところにちりばめられている。 ものすごくホンワカもするけど、 要所要所ヒネリも効いているし、かと言って、 全然こ難しい映画というわでもない。 それでもって全然大作然としていなくて 完璧過ぎるわけでもないから自然に入ってゆける。
アニエス・ヴァルダの『冬の旅』 (原題は「屋根もなく、法もなく」で、 最初の邦題も、いつしか『さすらう女』へと変更されている。) そうした現実を決して美化することなく ひどく厳しい現実をさらけ出す。 旅とさすらいを同じ目線で語って良いものか? そうした矛盾が暴きだされはするが、その主張はあまりに無情である。 18歳の少女が、そのさすらいの果てに命尽きる映画である。 女路上生活者として生きた数日間、 出会うさまざまな人間を通し回想しながら 彼女の人間像に触れようとする。