デヴィッド・シルヴィアンをめぐって(前編)
ポップミュージックの垣根を超えて 実験的、先鋭的なジャンルで孤高の活動を続ける デヴィッド・シルヴィアンと言う音楽家のことを書き始めると まずはその音楽家としての側面、 あるいは歌詞やコンセプトに置ける宗教的、思想家的側面 そしてアートヴィジュアル的側面、といった分野で それぞれ丸々一冊の膨大な本になってしまうほど 実に示唆に富んだアーティストであることに 今更ながら驚きを禁じ得ない。
ポップミュージックの垣根を超えて 実験的、先鋭的なジャンルで孤高の活動を続ける デヴィッド・シルヴィアンと言う音楽家のことを書き始めると まずはその音楽家としての側面、 あるいは歌詞やコンセプトに置ける宗教的、思想家的側面 そしてアートヴィジュアル的側面、といった分野で それぞれ丸々一冊の膨大な本になってしまうほど 実に示唆に富んだアーティストであることに 今更ながら驚きを禁じ得ない。
ユニークなトランペッター、個性的な、 という言い方がどこまで適切かどうかはさておき 明らかに、ジャズトランペッターのそれとは 異なるアプローチで奏でられるあの独特の音色、 一聴するだけで、それとわかってしまう音を奏でるのが 唯一無二のトランペッターとしての、ジョン・ハッセル個性であり その最新の動向には、絶えず関心を寄せてきた。
声の魅力。声の魔法。 それは人のみにあらず、鳥や動物にも当てはまる。 その声というものが素晴らしいまでに 一つの純正の楽器だと教えてくれたのが メレディス・モンクだった。
そんななか自分のなかではヨコタ・ススムの存在は 日に日に大きくなっている気がしている。 自ずと聴く頻度も増えている。 ドイツのレーベルHarthouseより 1993年『Frankfurt Tokyo Connection』をリリースし そこから始まる活動歴は圧巻だ。 何しろ23年にもわたるコンスタントな活動のなかで 40枚近くものリーダーアルバムを残し それぞれにコンセプトをもちながら まさにオリジナリティあふれる世界観を ひたすら孤高のうちに発表し続けた 稀有なアーティストであり、 ここ日本よりむしろ海外の方が 圧倒的に評価が高いのもうなづける気がするほどだ。
黒子のいるダンディ。このセンスを仰ごう。 近頃、達者な両刀使いたるバイリンガルたちによる英会話講座のような動画が増えている気がするが時々閲覧していると、有益なものがいろいろあるからついみてしまう。つい発生練習してみたりす...
“楽器なんて出来なくても音楽なんてものは作れるんだよ” このお言葉がいかに有難いものだったか。 それはまさに神の啓示ともいうべきものでありました。 これこそは、麗しき麗人から俗世の緑世界を開拓した、 ブライアン・イーノ大教祖様その人の声だったのです。
そこを逝くのはハルじゃないか 一年前の今頃のことだ。思いもかけないコロナ被害者の訃報に目が留まってしまった。ハル・ウイルナーと云う名物プロデューサーのことである。4月5日生まれで、4月7日没。文字通りのMrエイプリルマン...
最初なんと発音するのかさえあやふやでね... マドレーヌ・ペイルー?なんて思ってたほどだ。 お菓子じゃないっつーのよねえ。 今はちゃんといえますよ、マデリン・ペルーさん。 最近じゃ随分貫禄がでちまったみたいだけど、 この人の醸すムード、いいですよね。 おおらかというか、地に足がついた大物感がね。 でもじっくり聞かないと、気付かないかもしれない、 それぐらいナチュラルだから。
で、植草先生の偉いことばを思い出した。 「モダンジャズは皮膚芸術」ってこと。 つまり、モンクがわからないというのは その人とはたんに肌が合わなかったと言うべきなのよね。 おあとがよろしいようで。
あぶらだこ、あぶらだこ。 あたかも、アブラカタブラのごとく、 周期的に呪文を唱える自分がいるのだ。 あぶらだこ、あぶらだこ。 わたしを自由にしておくれ。 あぶらだこ、あぶらだこ。 ぼくを元気にしておくれ。 思わずそう叫びたくなるような、精神の不安定なときには、 ただあぶらだこにすがるのみである。