デヴィッド・ボウイ特集1
一月八日はボウイこと、 デヴィッド・ロバート・ジョーンズの誕生日である。 いみじくも二日後の十日が命日となり、 いわば、根っからのカプリコーン(山羊座生まれの)スターだから、 特にこの新年の二週目は勝手にボウイ週間だと称して、 朝から晩までひとり、ボウイの曲をかけまくっている。 恒例の習慣で、かれこれもう何十年も そんな年頭のスタイルが染み付いてしまっているのだ
一月八日はボウイこと、 デヴィッド・ロバート・ジョーンズの誕生日である。 いみじくも二日後の十日が命日となり、 いわば、根っからのカプリコーン(山羊座生まれの)スターだから、 特にこの新年の二週目は勝手にボウイ週間だと称して、 朝から晩までひとり、ボウイの曲をかけまくっている。 恒例の習慣で、かれこれもう何十年も そんな年頭のスタイルが染み付いてしまっているのだ
元ジャパンのベーシスト、ミック・カーン。 キプロス生まれのイギリス育ち。 一度聴いたら忘れられないベースラインゆえに、 いまだ神のように崇められている伝説のミュージシャンだ。 そのミックが他界して早十年の月日が流れた。
いい音楽を、ただいいと思える感性は重要だ。 それにはまず心を開放すること。 先入観を持たないこと。 それらは物質的欲望とは関係がないところで成立することだ。 自分にとって、これほどまで 人生を豊かにしてくれている音楽からの恩恵と 時には面と向かって対峙して、音楽を見ることも大事だ。 音楽には、改めて感謝しつつも 自分にとってのいい音を、さらなる滋養として受け止めたいものだ。
昨日とおんなじコンセプトじゃつまらないからと 今日の特集は、“ウキウキ感”にこだわってみました。 どちらかというと、元気になるようなニューイヤーソングを中心に と思ったけれど、それは次に回すとしよう。 でも、結局は、ウキウキすれば どんな音だってウキウキできるんってことなんだけれども。 それを言っちゃ元も子もないか。
というわけで、 お正月を感じながらも 自分という個性を見失わず、 のんびり快適に過ごせる音楽をセレクトしてみました。 単なるのんびりなら、チルアウトやアンビエントなど その手のジャンルに特化すれば事足りるのだけれど、 日本には日本ならではの風土、風習があり その意味では、いい部分や特性を損なわずに、 お正月に身を委ねることができればと、 選曲してまいりましょう。
音楽を生業にしている人たちや、それを支える人たちにとって なんとも厳しい一年になった。 本当に、心が痛いところだけれども、 僕らをこんなに幸せにしてくれる音楽が廃れるわけがないし また当たり前の様に、 音楽を通してあの素敵なバイブレーションを共鳴しあえる日が来ます様に。
だれもがピエールのようには生きられないけど、 少しでもそんな感性を共有できたらなあ、本気でそう思える人である。 人生のホンモノの豊かさを知っている人で、 石(ピエール)のように固いアタマも 石(バルー)のように自由な精神も、 ここにある本当のメッセージを読み取ることが人生の意味なんじゃないのかな? ボクにはそう思える。
クリスマスという日に、聴くべき音楽が色々とあるってな事を考えるだけで 幸せな気分が舞い戻ってくるってのは本当だ。 本当は、コレだけ毎日音楽ってものを浴びているけど クリスマスのバリエーションってのはそんなに増えてはない気がする。 そんな昔から聞いてきたクリスマスの音楽を、 ここに書き出してみようかって思う。
それこそ音楽なら豊富に浮かんできるが、 映画や文学となると、やれ恋人と、やれ家族と といった副次的快楽を共有するようなものを 得意げに差し出すような気の利いた感性は持ち合わせおらず、 ひたすら、己の琴線に触れてくる、 微妙なものを独断的、偏愛的に取り上げているに過ぎない。 しかし、あえて言葉を添えるなら、 これほど殺伐とした世の中で、 どこへ言っても他人の視線、他者との関係性を無視できない中で まずは、自分という個をしっかりとあらわにして 超然たる思いで、この年末を軽やかに乗り切りたい。
その芹明香演じる十九ピチピチの若く蓮っ葉な娼婦が、 日夜たちんぼうをしながら、男を漁り渡り歩くわけだが、 ギラギラ夏の太陽が照りつける大阪のドヤ街の片隅で 「うちなぁ何か逆らいたいんや」 そう呟くオープニングシーンのふてぶてしくも、 たくましさと気だるさとともに、思わず視線に緊張が走る。 けれども一時間強のドラマを観終わった後には そんな彼女が実に愛おしくなってくるのだ。