特集

Pierre Barouh 1934-2016特集

ピエール・バルー『Le Pollen』をめぐって

だれもがピエールのようには生きられないけど、 少しでもそんな感性を共有できたらなあ、本気でそう思える人である。 人生のホンモノの豊かさを知っている人で、 石(ピエール)のように固いアタマも 石(バルー)のように自由な精神も、 ここにある本当のメッセージを読み取ることが人生の意味なんじゃないのかな? ボクにはそう思える。

龍馬暗殺 1974 黒木和雄 ATG映画・俳優

黒木和雄『龍馬暗殺』をめぐって

時は、安政3年11月13日〜15日にかけての まさに怒涛の幕末の暗殺劇を凝縮した形だ。 いわゆる近江屋事件を、低予算ATG制作、 ドキュメンタリー畑の黒木和夫監督が 豪華な俳優陣を引き連れメガフォンを撮った異色作である。 前衛でありながらも、決して個としての龍馬の魅力を損なず、 そのまま原田芳雄の魅力と相まって この不朽の英雄伝に、一転アウトローが醸す、 人間臭さを大いに巻き込んだ群像劇へと標榜させている。

ロピュマガジン【ろぐでなし】VOL6.年末増刊号映画・俳優

ロピュマガジン【ろぐでなし】VOL6.年末増刊号

それこそ音楽なら豊富に浮かんできるが、 映画や文学となると、やれ恋人と、やれ家族と といった副次的快楽を共有するようなものを 得意げに差し出すような気の利いた感性は持ち合わせおらず、 ひたすら、己の琴線に触れてくる、 微妙なものを独断的、偏愛的に取り上げているに過ぎない。 しかし、あえて言葉を添えるなら、 これほど殺伐とした世の中で、 どこへ言っても他人の視線、他者との関係性を無視できない中で まずは、自分という個をしっかりとあらわにして 超然たる思いで、この年末を軽やかに乗り切りたい。

青春の殺人者 1976 長谷川和彦 ATG映画・俳優

水谷豊スタイル『青春の殺人者』の場合

確か、「傷天」のプロデューサーだった清水欣也は ショーケンにジェームス・ディーン像を重ね合わせてみていたけれど、 この『青春の殺人者』を見れば それはむしろ水谷豊の方だったのかもしれない そう思わせるものがここにはある。 現に、長谷川和彦はその『理由なき反抗』のジェームス・ディーンを 当時の水谷豊に託したかったのだ。 そういって『傷天』の乾亨が抜擢された青春の一頁なのである。

ろぐでなし VOL.5映画・俳優

ロピュマガジン【ろぐでなし】VOL5.

少なくとも、好きになった映画の、 そのたまらない空間の中に俳優に恋をする、まさにそんな感覚に過ぎない。 言うなれば、その映画が傑作であれ、駄作であれ、 俳優だけで観れてしまう映画というものもまままある。 その俳優が写っているだけで、何かを話したり、何か気になる仕草をしたりすることで 我々観客の心を奪ってしまうほどの存在。 ここでは、そうした比較に基づいて書き始めようなどという大それた考えは一切ない。 ただその映画が好きだという理由を あえて俳優目線に落とし込んで考えてみたい、それだけのことなのだ。

弘法大師修法図 弘化年間(1844-47) 西新井大師總持寺アート・デザイン・写真

北斎に詣でて

それにしても、北斎という人は なんと生命力を持った画家だったのだろう。 90歳に至るまでこのエネルギーを持続し 信じられないほど精力的に残した作品は 時代を超えても我々を魅了する熱が冷めやらない。 天才奇人という伝説が一人歩きしてはいるが そんなことより、 むしろ、この現代に改めて提示される宇宙こそは 圧倒的にモダンで斬新だ。 おそるべし北斎、素晴らしき絵師である。

難波田史男 1941-1974アート・デザイン・写真

難波田史男を愛でて

太陽と海を愛した画家、難波田史男のことをご存知だろうか? 知っている人は相当美術に造詣の深い人に違いない。 「私の線は不条理の線だ。線を引くことは哲学的自殺にほかならない」 そうノートに記したこの画家は その青春の日々を溶かし込んだ 素晴らしいまでの不安定さの中にさらされた、 まさにほんものの線を描き残した画家である。

キリスト磔刑図を基盤とした3つの人物画の習作アート・デザイン・写真

フランシス・ベーコンに佇んで

そもそも、ベーコンには子供の頃から 同性愛の傾向を抑えきれず、 それが元で家を追い出されて以来、 家具の設計からインテリアデザインに従事し、 グルメやギャンブルに溺れる享楽に悶々とした日々の中に 独自に絵画に目覚めていったという、 いわば愛を求めつづけた文字通りの放蕩息子なのであった。

Tsuguharu Foujita – Self-Portrait (1936)アート・デザイン・写真

藤田嗣治を追って

そんな画家フジタは おかっぱに丸メガネ、ちょび髭にピアスがトレードマークで 当時の日本人としてみても かなりエクセントリックなイメージを伺わせていたが モンパルナス界隈、エコール・ド・パリで ピカソ、モジリアーニ、コクトーなど 様々な国籍の芸術家達と日夜交友を深めながら いち早く西洋画壇で人気を博した人である。