アート・デザイン・写真

Perspective of Nudes 1961 Bill Brandtアート・デザイン・写真

ビル・ブラントをめぐって

ビル・ブラントの写真を前にするとき 人は、その隠された秘密を紐解きたい欲望が ふつふつと込み上げてくるかもしれない。 けれども、写真をいくら眺めていても ビル・ブラントの文献に目を通していても 秘密があからさまに暴露される訳でもない。 『パースペクテブ・オブ・ヌード』における 各肉体へのクローズアップは、 そうした秘密への鍵として、現前に投げ出されるだけだ。

『和室』Henri Cartier-Bressonアート・デザイン・写真

アンリ=カルティエ・ブレッソンをめぐって

ライカというと、真っ先に思い浮かんだのが、 アンリ=カルティエ・ブレッソン、 フランスの著名な写真家であることは言うまでもない。 写真家集団「マグナム・フォト」で有名だ。 “決定的瞬間”をカメラで切り取ることに長けた写真家ではあり、 それらの写真もとても魅力的なのだが、 ここでは、むしろ、そうした観点をはなれ、 我々日本人には馴染みのある 日本座敷の静謐な一枚を巡って、考察して見よう。

Ylla 1911 – 1955アート・デザイン・写真

イーラをめぐって

カミーラ・コフラーこと、 ウィーン生まれのハンガリー人イーラは、 ぼくが好きな女性動物写真家で、 パリで世界で初めての「動物ポートレート専門スタジオ」を開いたあと アメリカNYにわたって動物写真を撮り続けた人だ。 その後念願のアフリカに滞在して野生動物を撮り始めるに至るが 不慮の事故で命を落としてしまう。 そんな根っからの動物愛がもたらした奇跡のような動物写真は 現代のあざとい眼差しなどとは無縁でどこまでも気持ちがいい。 その純粋かつ野心的なカメラアイは 今でも多くの人を魅了し続けているのもうなづける。

牛腸茂雄(ごちょう・しげお 1946-1983)アート・デザイン・写真

牛腸茂雄『SELF & OTHERS』をめぐって

牛腸茂雄という、ちょっと変わった名前の写真家がいました。 「ごちょう」と読む珍しい名字ですね。 新潟に多いと聞きますが、当人は新潟県加茂市出身、 高校卒業後に上京し、桑沢デザイン研究所で、 あの武満徹なども在籍した実験工房のメンバーの一人だった 大辻清司に写真を学びます。 3歳から胸椎カリエスという奇病を患っていたがゆえに、 若くして他界されているのですが、 ありがたいことに、残された写真は 写真集『SELF & OTHERS』を通して 彼の人となりを朧げながらに見ることが出来ます。

Alain-Jouffroy 1928−2015アート・デザイン・写真

アラン・ジュフロワ『視覚の革命』をめぐって

フランスにアラン・ジュフロワという美術評論家がいた。 6年前の2015年にすでにこの世をさっている。 評論家、というよりは詩人といった方が正しいだろう。 ぼくにとっては、この出会いこそは一つの啓示のようなものだった。 まるで雷にうたれると同時に また、雨に濡れる官能を知ったときのような 不思議な歓びと驚きといった、 いくぶん大げさな感慨をもつ書物というものがあって、 まさにジュフロワの『視覚の革命』にはものすごく感銘を受けたのだった。

Un Chien Andalou 1928 Luis Buñuel et Salvador Dalíアート・デザイン・写真

サルバドール・ダリ&ルイス・ブニュエル『アンダルシアの犬』をめぐって

「前衛(アヴァンギャルド)」というキーワードから 満を持して引っ張り出してきた『アンダルシアの犬』について、 今から約1世紀近くも前のこのあられもない映画を見たあなたは、 居ても立っても居られず、その感想をグダグダの解説でもって おっ始めようというところじゃないだろうか? しかし、そんな事をしたところで、 おそらく何にも伝わりはしませんよ。 むしろ、誤解を招くだけですから、悪いことは言いません、 そこは素直に、悪夢を見た、とでも言って流しておきなさい。 言ってみれば、結論はそういうことでしかないのである。

オテサーネク 妄想の子供アート・デザイン・写真

ヤン・シュヴァンクマイエル『オテサーネク』をめぐって

さすが、チェコという国は かつてカフカを産出しただけあって この手の不条理ナンセンスに長けた作家を多数輩出している。 そのチェコを代表するヤン・シュヴァンクマイエルは 美術家というべきか 映画作家というべきか、 はたまたアニメーターというべきか 何れにしてもシュルレアリスティックな作風で 狂気とユーモアとカオスを併せ持つ独自の世界感で 我々をたちまち魅了する錬金術師である。