映画・俳優

キル・ビル 2003 クエンティン・タランティーノサブカルチャー

クエンティン・タランティーノ『キル・ビル』をめぐって

タランティーノが梶芽衣子の大ファンというのはよく知られた話で、 当然のごとくエンディングに「恨み節」が流れる。 何ともニンマリするところだが、肝心の梶芽衣子の『修羅雪姫』の引用は あくまで様式美に過ぎず、『キル・ビル』そのものが背負う「復讐劇」としては 少し唐突な気配がしないでもない。 が、この異国の心の底からの熱狂マニアっぷりが高じて 撮り上げたエンターテイメントにいちゃもんをつける気は毛頭なく むしろ、面白く拝見したという意味では、 正真正銘のタランティーノ神話の、遅ればせながら ようやくその住人になれた気にはなっている。

Shock Corridor  1963年 Samuel Fuller映画・俳優

サミュエル・フラー『ショック集団』をめぐって

映画は事件をめぐる人間たちによる群像劇といえるが ショーケンと小柳との夫婦間のいざこざと愛憎をはじめ、 そこに絡むすれてない子供たちとの情感。 (ちなみに、娘役の香織は高橋かおりの子役デビューである!) また、誘拐された家族、秋吉久美子と岡本富士太夫婦と 警察組織の焦燥感の攻防。 冒頭で新聞社の部長丹波哲郎が歌うカラオケ「ダンシングオールナイト」や ショーケンとの昔馴染みという設定の女池波志乃との情事、 あるいはヘリを操作する菅原文太の登場、 若手の記者宅麻伸と恋人役の藤谷美和子の関係性などなど、 それらが果たして必要なシーンだったかどうかはさておくとしても、 救出までのサスペンスには、ノスタルジックな情緒を感じながら もっと肩の力を抜けよ、などとは到底いえないようなリアルな空気感に満ち 追い詰められた人間たちの、切迫感がヒリヒリと感じられる映画だった。

「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」1968 ジョージ・A・ロメロ映画・俳優

ジョージ・A・ロメロ『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』をめぐって

要するに、低予算、B級のくくりで考えれば 『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』という一本の映画は 映画作りそのものへの可能性や わくわく感、ドキドキ感を満たしてくれるわけだが、 まさに、映画作りの原点のような空気に満ちていると言うのか、 映画について、映画愛についてをも考えるさせられる作品なのだ。

暴動島根刑務所 1975 中島貞夫映画・俳優

中島貞夫「暴動島根刑務所」をめぐって 

『脱獄広島死刑囚』から始まって『暴動島根刑務所』 そして『強盗放火殺人囚』まで続くその三部作、 とりわけ中島貞夫による最初の二作が抜群に面白い。 ずばり、エネルギーのすさまじさは特筆に値する。 そんな脱獄がテーマだけに、並外れたバイタリティがなければ そんな大それた芸など出来るわけもないというところで、 松方のキャラがひときわぶっ飛んでいる。

Delicatessen 1991 ジャン=ピエール・ジュネ&マルク・キャロ映画・俳優

ジャン=ピエール・ジュネ&マルク・キャロ『デリカテッセン』をめぐって

B級かカルトか、そのあたりの定義はおいておくとしても 強烈な個性を放つジャン=ピエール・ジュネという映画作家は、 次作の『ロストチルドレン』やのちの『アメリ』で その名が知られるようになったと思うのだが このマルク・キャロが共同で名を連ねる『デリカテッセン』の方が 個人的にはツボ作品なのだ。

地球に落ちてきた男 1975 ニコラス・ローグ映画・俳優

ニコラス・ローグ『地球に落ちてきた男』をめぐって

そのなかで、1975年、初めて映画に挑戦の ウォルター・テヴィスのSF小説を実写化版 ニコラス・ローグの『地球に落ちてきた男』では まさに「はまり役」としてその宇宙人キャラを演じた。 ウォルター・デヴィスの原作がボウイのキャラを ふまえて書いたわけではないが、 ニコラス・ローグにかぎらず、この人かいない、 という思いは映画をみれば誰もが納得するだろう。 当人も満足していたのか、

イレイザーヘッド 1976 デヴィッド・リンチサブカルチャー

デヴィッド・リンチ『イレーザーヘッド』をめぐって

絵を眺めるように、映画を読む。 挟まれる原爆の写真、精子のような動きの物体。 穴の開いたベッド、そして何よりも気味悪がられた魚のような赤ちゃん。 そしてぶつぶつおたふくのラジエーター女子。 で、なんといってもイレーザーヘッドの主人公ヘンリー。 どれもが異様な雰囲気を醸して見るものに不安を掻き立ててくる。 映画としての感性よりも、リンチの想像力への衝動の大きさが 映画をある種の方向性を導く強力なベクトルになっているがわかる。 絶えず響いてくるインダストリアルなノイズの効果もある。 あまりにも実験的だ。

妖婆 死棺の呪い(Вий) 1968映画・俳優

アレクサンドル・プトゥシコ『妖婆 死棺の呪い』をめぐって

1967年に撮られロシア発のカルトホラームービー『妖婆 死棺の呪い』を 久々に見返したところである。 これが今時ないスタイルの、言うなれば手作業ホラーで案外面白い。 その昔、ローカルのテレビでも幾度か 放映されたような記憶があるし 映画館でも時々、何かの特集のなかの一本にかかる映画で、 事あるごとに見てきたのは確かだが、 その割には内容がいまいちよく思い出せない。 いつもどこかで微睡んでしまうからなのか、 それともストーリー性があってないような話だからか。

殺しの烙印 1967 鈴木清順映画・俳優

鈴木清順『殺しの烙印』をめぐって

時代より感性が先んじる。 まさにそんな映画が鈴木清順による『殺しの烙印』である。 そのことに異議を唱えるのは野暮である。 いや、単におふざけが過ぎた映画と呼べなくもないし、実際そうなのだ。 わけのわからない映画を作るといって 日活を解雇されてしかも10年もの年月を干されてしまった問題作、であるが 今みると、清純の才能の勝利にだれもが嬉々として祝杯を掲げるだろう。 不思議なものだ。

『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』1969 石井輝男サブカルチャー

石井輝男『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』をめぐって

キング・オブ・カルトこと、我らの石井輝男。 そこから輩出される名だたるカルトムービーの中でも 「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」と聞けば 泣く子も黙る、とりわけカルトキングな作品である。 我が愛すべきB級映画は、まずはこの作品から始めるとする。 これも確か、大井武蔵野館の名物プログラムだったと記憶する。 エログロ、狂気、ナンセンス、アングラ、タブー、シュール。 ありとあらゆる禁断世界から攻めたててくる。 日本映画史に燦然と輝くカルト映画の金字塔だ。 もっとも、全てがラストシーンに集約されてしまう映画であることは間違いない。