映画・俳優

鈴木清順『刺青一代』をめぐって映画・俳優

鈴木清順『刺青一代』をめぐって

さて、本題は、その刺青をテーマにした作品から、 大正生まれの鈴木清順が撮った わけのわからない映画の中では 比較的わかりやすい部類に入る『刺青一代』について書いてみよう。 ある意味、(清順にしては)まともすぎる映画である。 男気溢れる高橋英樹のかっこよさ、 それを慕うヒロイン和泉雅子の可憐さ。 そして何と言っても、凝りに凝った構図主義、映像主義。 視覚の美学が炸裂するラスト15分は見ものである。 確かに、こんなヘンテコな演出をしなければ 単なる人情篤き任侠ものに過ぎない。 弟をかばった兄の思いがどこか野暮ったくはあるが、 それがドラマとしてはキモなのだから。

『集団奉行所破り』1964 長谷川安人映画・俳優

長谷川安人『集団奉行所破り』をめぐって

長谷川安人監督の『集団奉行所破り』は 東映時代劇の中でも特異な輝きを放っている一本だ。 注目すべきは、舞台が江戸ではなく大阪であること。 冒頭の市川小金吾の浪花語りには、思わず引きこまれる。 このリズムが映画をテンポ良く、コメディ調に運んでゆく。 チャンバラでもなく、勧善懲悪でもなく、もっと滑稽でもっと人間臭い。 波止場に吹く湿った風にきく話として、 かつて海を渡り盗み、戦い、笑っていた男たちが再び集う群像ものだ。 彼らはもはや海賊ではないが、 時代に追われ、波に居場所を失っても陸に上がった“元海賊”たちであり、 どこかアウトローとしての連帯関係にむずばれている。 だが、東映映画の定番の、あの波しぶきのオープニングのように 彼らの血の奥にはまだ潮の音がはげしくくすぶっていることを証明する。 そこには、脚本を手がけた小国英雄の、 構造と笑いを兼ね備えた知恵がみごとに息づいている。

女の勲章 1961 吉村公三郎映画・俳優

吉村公三郎『女の勲章』をめぐって

かつての名作をリメイクしたドラマが制作されることは多々あること。 が、余程気を引かない限り、それを進んで見てみようとまでは思わない。 そそるものがあれば、あるいはその作品への思い入れがあれば、 勝手に見てしまっているはずだから、 何もわざわざいうことはないレベルの話だ。 吉村公三郎『女の勲章』もその一つ。 最近では2017年にフジテレビ系でスペシャルドラマとして2夜連続放された 主演松嶋菜々子版の方が一般的に知られているのかもしれない。 だが、こちらのずっと古い吉村による映画版は、 今観てもなかなか見応えある作品にしあがっている。 京マチ子主演と、若き日のイケイケ田宮二郎の熱演がなんとも眩しいのだ。

不知火検校 1960 森一生映画・俳優

森一生『不知火検校』をめぐって

1960年、同期のライバル雷蔵に差をつけられていた折、 勝新に巡ってきたひとつの転機があった。 犬塚稔が脚色したこの宇野信夫の同名戯曲『不知火検校』において 勝新は極めて異様で魅力的な主人公を演じたことだ。 監督は大映黄金期を支えたMR活動屋、森一生。 映画史において、盲目の主人公が人々の心を射抜くというのは、 決してありふれた現象ではない。 だが、そこに勝新太郎という異端の俳優が登場すると、 その図式はがらりと変わるのだ。 詐欺、強姦、強殺教唆、殺人、悪びれることなく悪行の限りを尽くし それでいて、なんともいいがたい色気を放っている。

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.47 新春シネマチャンプルーサイドB映画・俳優

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.47 新春シネマチャンプルーサイドB

昨年末、新春12日をもって ミニシアターの「シネマカリテ」が閉館とのニュースが飛び込んできて、 なんだか寂しい気持ちがしていたところである。 街の名画座がどんどん消えて、 ますます、自宅でストリーミング鑑賞が増えてしまうんだろうな。 それはそれでいいんだが、やはり、名画座が消滅するというニュースは 一映画ファンとして心穏やかではない。 もはや、だれも驚かないレベルで、寂しい気分であることはいっておく。

溝口健二『残菊物語』をめぐって映画・俳優

溝口健二『残菊物語』をめぐって

だが、もしあなたが『国宝』でその血脈の物語に胸震わせた人なら、 どうか一歩だけ時代を遡ってほしいと思う。 1939年、まだ日本映画がモノクロの光と影の中を歩いていた時代。 溝口健二という巨匠が、同じ“芸の宿命”をテーマに、 しかしより剥き出しの形式で映画に封じ込めた作品がある。 それが『残菊物語』である。 これこそは、まさに国宝級の名作であるだけでなく、 今『国宝』を観たあなただからこそ響く、 芸と愛と犠牲の“原型”のような物語がここにあるのだと思う。

『コンパートメントNo.6 』2021 ユホ・クオスマネン映画・俳優

ユホ・クオスマネン『コンパートメントNo.6』をめぐって

あれはユホ・クオスマネン監督『コンパートメントNo.6』と同じく90年代だった。 まだ携帯もSNSもない、前時代的な香りをどこかで残していた時代だ。 それでもヨーロッパ映画ではしばし、コンパートメントそのものが ドラマ性が滲む空間として記憶している。 ヴェンダースの『アメリカの友人』での列車内の壮絶な殺人、 ロブ=グリエの『ヨーロッパ横断特急』やブニュエルの『欲望の曖昧な対象』では 語り部の空間そのものとして使用されていたし、 あれはコンパートメントではないにせよ、 リンクレーターの『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』では ふたりの恋のきっかけがこの列車によって始まっていたのを思い出す。 そんなストーリーテラーには欠かせない空間においての ボーイミーツガール映画の顛末、はたして結末はいかに?

『東京ゴッドファーザーズ』2003 今敏アート・デザイン・写真

今敏『東京ゴッドファーザーズ』をめぐって

今日はクリスマス。 ということで、クリスマスにちなんだ映画を取り上げようと思う。 クリスマスのちなんだストーリーは、古今東西、 バラエティに富んではいるのだが、 個人的な一押しでいえば、 少し前のビリー・ワイルダーによる名作コメディ、 ジャック・レモン主演の『アパートの鍵貸します』か ハーヴェイ・カイテル主演、ウェイン・ワンの『スモーク』あたりがズバリなのだが、 ちょっと渋いところで、ジョン・フォード、ジョン・ウェイン主演の 『三人の名付け親』といきたいところだが、 今回取り上げるのはそのクリスマス西部劇から着想を得たという、 今敏による『東京ゴッドファーザーズ』というアニメだ。 この作品は映画という名のアニメであると同時に 単なるアニメ以上に見どころ満載の映画でもある。 実に興味深い現代的な視点がいくつも投与されているが、 シリアスすぎるでもなく、 かといって、コミカルなその場主義的な 単純な物語に収斂しない“心に残る”作品として、語りたい魅力がある。

『北陸代理戦争』1977 深作欣二映画・俳優

深作欣二『北陸代理戦争』をめぐって

両親共々、富山県人で、 僕自身、小さい頃から北陸には何かと縁があり 新幹線よりもなにより“雷鳥(現サンダーバード)”によく乗った記憶が先立ち、 あの北陸なまり、独特の富山弁にも随分愛着があって それらの印象が今なお皮膚感覚でしみこんでいる。 いうなれば、ルーツともいえる地、それが北陸だ。 だが、越中強盗、加賀乞食、越前詐欺師。 これが俗に言う北陸人の気質らしい。 そんな物騒なことは、これまで微塵も感じたことはなかったが、 深作欣二の『北陸代理戦争』での幕切れとともに流れる 「共通しているのは生きるためにはなりふり構わず、手段を選ばぬ特有のしぶとさである」というナレーションに聞こえてくるように、 そういうところがあるのかもしれない。 そのあたりの考察をふまえて、映画を語ってみよう。

座頭市 1989 勝新太郎映画・俳優

勝新太郎『座頭市』をめぐって

勝新太郎が1989年に撮った『座頭市』。 文字通りのラスト座頭市であり、 73年、自身の勝プロで『新座頭市物語 笠間の血祭り』を撮って以来 十六年ぶりに完全復活を果たし、 勝新が最後にメガフォンをとった作品としてシリーズ最終作であると同時に、 のちに訪れる破滅と影を予告する、 奇妙に澄んだ悲劇性をも帯び、いろんな意味で呪われた映画だ。