バカモン百選

バカモンたちよ、ヘイカモン!

家紋といえば、日本が誇る元祖ロゴグラフィック。その家紋にはそれぞれ家柄であるとか地位や系統を表す記号としての意味がある、それぐらいは知っているのだ。「この紋所が目に入らぬか!」と悪代官たちを有無を言わせず黙らせた、黄門様の伝家の宝刀、葵の紋所を持ち出すまでもないだろう。

そんな由緒ある家紋をもの名を語って不届きにも家紋だ、と言い張る輩がいる。何を隠そう、それが自分だ。もちろん、家紋の形、家紋らしきものであっても、家紋ほどの威厳はないし、意味もない。ただひたすら、紋章風のデザイン(デザインといっていいのかどうかも不明だが)をなんでも良いからとただ100個ばかり並べたシーリーズである。よって、バカモンと名付けた。言うなれば、これは全てロピュ家の紋章であり、このロピュ66デザインの看板を背負う紋所として、デザインしたものばかりである。一つ一つの小さな村のような感性や感覚の意匠を纏った記号である。だから、無理くりにでも意味を持たせることもできるし、なんならば、何か別物への供物として、提供することだってできるのだ。バカモンはバカであるが、純粋なのだ。ピュアイノセントの記号群なのだ。ロゴマークといとことでいっても、皆それなりに、考え抜かれ、ミニマムに意味を持ったメッセージを持たねば、家紋としての価値はない。が、そこで、あえて提唱したい。つまるところ、意味などどうでもよろしい。ただ視覚的に何かを訴えかけるものであればそれでいいではないかと。場合によっては深読みが一人歩きするかもしれないし、潜在的な意味をそこに見出すかもしれない。見る人、解釈する人に委ねるまでである。

そのためにはある程度のまとまり、と形というものが当然必要になってくる。だからこそ、バカモンたちは家紋の型を手に入れ、素直にそれに従ったまでである。そして、バカモンたちは開き直るであろう。SO WHAT (ソーワット!)それが何か? ウォーホル先生に倣い、そんなクールな一面を擁しているのだとすれば、確かにクールでさえある。が、それだけだとなにぶん、箔がつかない。そこで、とにかく最低限のルールは百単位で一括りにしようというものである。あえて、そこに制約を設けた。どんなつまらないものや、些細なものでも100個集まれば自信も自ずと溢れてくるだろう。そこに、わざわざ百選と銘打てば、これこそ、人々の心をくすぐるに違いない、そう考えるのがバカモンたちのオツムの単純さであり、また可愛いところだと思っていただきたい。

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