アート・デザイン・写真

Giuseppe Arcimboldo | Allegories of the Elements, 1576アート・デザイン・写真

アンチンボルドを讃えて

魚や鳥、果物や植物を構成して 肖像画を描いてしまうその想像力に舌を巻かざるを得ないのだ。 なんと刺激的で、魅惑的な絵画なのだろう。 ダリを始め、エルンストやマグリット あるいはチェコのシュワンクマイエルなど、 そのエッセンスは当然のごとく、 20世紀の美術に多大な影響を与えており シュルレアリスムの父とさえ呼ばれるところだが そのグロテクスなアンチンボルドの寄せ絵には、 どこか静謐さと品性が絶えず宿っており 少なからず、その人となりを伝えているように思われる。

サンドロ・ボッティチェッリの『ビーナスの誕生』アート・デザイン・写真

ボッティチェッリに誘われて

西風の神ゼフィロスは春風の息吹きで 貝殻の上にそびえ立つ女神像を海岸へと押し上げ、 時と時節を司る女神ホーラは、 衣装を持って、ビーナスを包み込まんとしている。 周りでは花が舞い、波が押し寄せている。 この静と動の緊張が、この一枚の絵画を 比類なき美に高めているのだということに 今更ながらに気づいたのである。

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モランディに魅せられて

そこには何か奇抜なものがあるわけでもなく、 瓶やじょうご、水差し、壷といった器物を中心とした ナトゥーラモルタ(イタリア語で静物画という意味を持つ)を 平面に並べて描くというコンポジションが主で 目を惹く仕掛けのようなものはただの一枚もない。 なのに「20世紀最高の画家」と言われる由縁はなんだろう? そういう思いからどんどんとモランディの絵に魅せられていく。 確かになにかが心にひっかかってくる絵なのだ。

ログでなしvol4アート・デザイン・写真

ロピュマガジン【ろぐでなし】VOL.4

僕は絵の可能性、一枚の絵の魅力に取り憑かれた人間というだけだ。 絵描きという存在の復権を願って、ここに美術史の中から なんの脈略もなく、心に留まった画家を拾い集め 個人的な思入れを書いてみよう。 あえて、絵というものに終始固執した画家たちについて取り上げてみよう。 僕にとってはそうした絵描きは憧れであり、同志であり、夢先案内人だ。

森村泰昌 セルフポートレイト・ドヌーブとしての私3アート・デザイン・写真

森村泰昌『全女優』をめぐって

今、手元にある一冊の写真集を眺めている。 森村泰昌による『全女優』というタイトルの それこそ、究極の女装写真集である。 ドヌーブ、ヘップバーン、モンロー、ガルボ ・・・ そんじょそこらにいる佳人とは比べようのないオーラを放つ美の化身達。 大胆にそんな美のアイコン達になりすましてしまう氏の技は もはや芸術を超えた忍術の域である。 よって、当然趣味の世界という偏狭な枠組みのみで語るつもりはない。 また、芸術という高みにわざわざ同行する意思もない。 ここに、わざわざ美を見出すかどうかはさておき、 眺めていると不思議な高揚感が湧いてくる。 自分ができないことを、目の前のアーティストが一人、 可能な限りのアプローチで個々の女優に近づこうとする行為。 その行為は実に圧巻であり、神々しい。 審美を超えた、何物かであり 言葉より先に、網膜がひたすら圧倒される。 なんだろうか、このエネルギーは。

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ブリューゲル『バベルの塔』をめぐって

あくまでイメージに過ぎなかった「バベルの塔」を しっかりこの眼で拝むことが出来たのは 実にファンタスティックな出来事だったと言える。 それにしても一枚の絵がこれほどまでに壮大なロマンを持ち得ることに 改めて感動を覚えずにはいられない。 とりわけこの東京芸大プロジェクトによる 300%の復元版の風格は凄まじいものだった。 (高さ340cm立体版「バベルの塔」もあるのだ!) ボイマンス美術館所有の原寸「ブリューゲル版」とでは 印象がまるで違うのだ。 ブリューゲル版は鑑賞用という前に、 板に描かれた油絵を何百年もの間後生大事に それこそ腫れ物に触るように、神経をとがらせて保管されてきた代物だろうし、 サイズもさほど大きくなく1mにも満たない、 いうなれば室内展示用のものだ。

Le Déjeuner en fourrureアート・デザイン・写真

メレット・オッペンハイムをめぐって

流れゆく雲、廃屋のようなセット、 水溜りに浮かんだ顔が風で震える。 白い馬。そして子供と老人。 「i(私)」と書かれた風船が空に舞う…… イメージの断章、それは記憶の中の一風景なのだろうか。 ミュージシャンのポートレイトでその名を知られ、 数々のミュージッククリップや映画をも手掛けている オランダ人の写真家アントン・コービン、 そのプロデュースによるデヴィッド・シルヴィアンのシングル 「Red Guitar」(1984)でのモノクロームのクリップビデオに登場するのは、 英国の写真家、変わり種アンガス・マックベインという老人である。

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アンガス・マックベインをめぐって

流れゆく雲、廃屋のようなセット、 水溜りに浮かんだ顔が風で震える。 白い馬。そして子供と老人。 「i(私)」と書かれた風船が空に舞う…… イメージの断章、それは記憶の中の一風景なのだろうか。 ミュージシャンのポートレイトでその名を知られ、 数々のミュージッククリップや映画をも手掛けている オランダ人の写真家アントン・コービン、 そのプロデュースによるデヴィッド・シルヴィアンのシングル 「Red Guitar」(1984)でのモノクロームのクリップビデオに登場するのは、 英国の写真家、変わり種アンガス・マックベインという老人である。