岡本太郎『太陽の塔』をめぐって
岡本太郎の魂を受け継ぐこの巨大なモニュメントは、 1970年の万博に登場して以来、 約半世紀にも及ぶ年月を千里の荒野に 超然とひとり屹立しながらも 時の移ろいの前にも微動だにしない強さがあり、 何度見上げてもいまだに この僕に生きる勇気を与えてくれる 永遠の存在なのである。
岡本太郎の魂を受け継ぐこの巨大なモニュメントは、 1970年の万博に登場して以来、 約半世紀にも及ぶ年月を千里の荒野に 超然とひとり屹立しながらも 時の移ろいの前にも微動だにしない強さがあり、 何度見上げてもいまだに この僕に生きる勇気を与えてくれる 永遠の存在なのである。
幕末から明治維新の動乱期にかけて活躍した画家に 河鍋暁斎という異端の画家がいる。 画狂人北斎、画遊人若冲に 一歩もひけをとらぬ個性を有した人である。
フランスにアラン・ジュフロワという美術評論家がいた。 6年前の2015年にすでにこの世をさっている。 評論家、というよりは詩人といった方が正しいだろう。 ぼくにとっては、この出会いこそは一つの啓示のようなものだった。 まるで雷にうたれると同時に また、雨に濡れる官能を知ったときのような 不思議な歓びと驚きといった、 いくぶん大げさな感慨をもつ書物というものがあって、 まさにジュフロワの『視覚の革命』にはものすごく感銘を受けたのだった。
「前衛(アヴァンギャルド)」というキーワードから 満を持して引っ張り出してきた『アンダルシアの犬』について、 今から約1世紀近くも前のこのあられもない映画を見たあなたは、 居ても立っても居られず、その感想をグダグダの解説でもって おっ始めようというところじゃないだろうか? しかし、そんな事をしたところで、 おそらく何にも伝わりはしませんよ。 むしろ、誤解を招くだけですから、悪いことは言いません、 そこは素直に、悪夢を見た、とでも言って流しておきなさい。 言ってみれば、結論はそういうことでしかないのである。
さすが、チェコという国は かつてカフカを産出しただけあって この手の不条理ナンセンスに長けた作家を多数輩出している。 そのチェコを代表するヤン・シュヴァンクマイエルは 美術家というべきか 映画作家というべきか、 はたまたアニメーターというべきか 何れにしてもシュルレアリスティックな作風で 狂気とユーモアとカオスを併せ持つ独自の世界感で 我々をたちまち魅了する錬金術師である。
シュプレマティズム。 午後3時のちょっとしたブレイクタイムなんかに 考えるようなことじゃないのかもしれない。 そう、マレービッチの無対象性、あるいは絶対主義について。 シュプレマティズムなんて言われて すぐにピンとくる人は、相当な美術通、芸術通なんだと思う。 知っているからといって、なんのトクもないことだけは間違いない。
それにしても、北斎という人は なんと生命力を持った画家だったのだろう。 90歳に至るまでこのエネルギーを持続し 信じられないほど精力的に残した作品は 時代を超えても我々を魅了する熱が冷めやらない。 天才奇人という伝説が一人歩きしてはいるが そんなことより、 むしろ、この現代に改めて提示される宇宙こそは 圧倒的にモダンで斬新だ。 おそるべし北斎、素晴らしき絵師である。
太陽と海を愛した画家、難波田史男のことをご存知だろうか? 知っている人は相当美術に造詣の深い人に違いない。 「私の線は不条理の線だ。線を引くことは哲学的自殺にほかならない」 そうノートに記したこの画家は その青春の日々を溶かし込んだ 素晴らしいまでの不安定さの中にさらされた、 まさにほんものの線を描き残した画家である。
そもそも、ベーコンには子供の頃から 同性愛の傾向を抑えきれず、 それが元で家を追い出されて以来、 家具の設計からインテリアデザインに従事し、 グルメやギャンブルに溺れる享楽に悶々とした日々の中に 独自に絵画に目覚めていったという、 いわば愛を求めつづけた文字通りの放蕩息子なのであった。
そんな画家フジタは おかっぱに丸メガネ、ちょび髭にピアスがトレードマークで 当時の日本人としてみても かなりエクセントリックなイメージを伺わせていたが モンパルナス界隈、エコール・ド・パリで ピカソ、モジリアーニ、コクトーなど 様々な国籍の芸術家達と日夜交友を深めながら いち早く西洋画壇で人気を博した人である。