アートは名詞ではなく動詞だと思うわ
オノ・ヨーコ
過度なまでの肉体労働と生じる外交と出費を強いられた表現の生の「現場」
かれこれ数十年も前のことになる。個展という名目を掲げた展覧会らしきものを企画し、如何にかこうにか開催にこぎつけたとはいえ、今思うに、いったい誰に見せ、何を期待していたのかさえもわからない代物ばかりだった。何しろ、リアクションというものが皆無だったのだから。名のない無名のアーティストのわけのわからない展示に、いそいそ足を運ぶ変わり種というものは、どう考えても稀なのだ。まして、今のようにSNSなどという便利な媒体がない時代である。よって、希少な証人さえなかなか見いだすことが困難な今、それすらも夢であったんじゃなかろうか、などと考えても、一向に不思議ではないのである。
ただ一つ言えることは、自分は若かったし、怖いものなど何一つなく、不遜で大胆であった。なんにせよ、ひたすら思いをとげようと、いかなる状況下でも必死であったということだけである。日々作品を作り、人に見て欲しい、知って欲しい、そして理解して欲しいという、少しばかり青臭いばかりの承認欲求にからなる衝動にかられ、まったくゆとりなど一欠片もなかった。そこで体験したことはといえば、個展のプロセスというものが、日頃無欲で作品を作る次元とはまったく別の次元が生じるということ、つまり映画という表現が現場を要求し、個々肉体とスタッフとの共同作業であるのと同じように、過度なまでの肉体労働と生じる外交と出費を強いられる表現の生の「現場」であったということだけなのである。
それでも、どさくさに紛れ5回にも及ぶ体験が残っているのだから、我ながら、よくやってきたものだと感心する。しかもいずれも無償で場にありつけたのだから、ある意味果報者だったのかもしれない。そんなこともあって、ただ記憶の片隅にのみ放置しておくのは、なんとなく無責任な気もしないでもなく、いわば、時効が迫って思わず現場に足を踏み入れるような未解決事件の犯人のような気持ちで、今こうしてその思いを綴っているのだ。
一回目の幸福は、初めて世に自分の作品を公表するということの昂揚が、多くの人的サポートによって実現しえたことだった。そして内容的にも、もっとも新鮮かつ同時にもっとも自己に忠実な形をとれたということの余韻がいまもなお消えずにある。
二回目以降は、状況は少しづつ異なっていく。時を経、経験を経て、いろんな人間関係の綾をかいくぐったものの、どれもが個のあがき、奮闘状況の生贄の感はぬぐえない。とはいえそれも確かに記録として残してある。ただ、すべては、日々の行為の直接的な具現化でもあり、多くの場合、空間への新たな配置によって、新しい生命と躍動をもった瞬間を刻印できたと思っている。そこで起こり得た関係性の小さなさざ波は、以後の人生に少なからず影響を与えてくれているのは間違いない。
Maternal Eternity 「母なる永遠」 21th ~28th OCTOBER1993 横浜MARKET
四方の壁を墨汁で塗りこめた室内に、主にローソクを光源とした。中央にはコントラバスのボディを垂直に、 水平に据えた装置としての祭壇を設置。水平に置かれた作品には水を張り、あらかじめコラージュしておいた割れた鏡の断片とともに、上からのスポットライトによる光の反射が垂直の作品に反射するようにした。 キャンバスの裏地等を使った小品は側面に配置。木箱によるボックス作品は祭壇の左右に天井から吊るす格好で、適度な風で揺らぐ。
室内のこうした準備室に、音として、自作のコンポジションを常時流すようにした。 これは、水、火、風を持ち込んで、こうした空間に女性原理への神秘と胎内回帰ともいうべき詩的イメージ の具現化、詩的実験である。
個展レヴュー
大切なものは暗い所にしまっておこう。 ロピュールさんの作品は展示されていたのであって別にしまってあったというわけではないが、「しまう」という方がぴ ったりくると今から振り返っても思う。展示会場に入ってみると壁は黒く、普段展覧会というと白っぽい壁のほうが多いので珍らしく、照明が落としてあり室内 は薄暗かった辺りを見わたすと左右の壁に小さな箱庭のような作品がたくさん掛けてあった。図柄は人型が幾つか。蝉の羽で作られた人の顔やレースをまとったキツネもいた。 それから内面をストレートに出したような抽象的な模様も多い。貝殻や打ち寄せられた小物たちの落ちている海辺を想わ せるもの。細かく縮れた襞でできているアメーバのような形。ゾクっとする。 どれも丹念に作られた木目の細やかさがあって細部の鑑賞に応えてくれて気持ちが良かった。有機的な感じがした。人の 大切な部分に深入りするような怖さが少しあった。 また作家のイメージする人間の内面的なものの中にいるのだなと思い、自分も一つよそゆきを脱いだ気楽な気持ちにもな った。鼓動とやわらかい女性の歌声が聞こえた。やっぱりここは母なるものの胎内のようだ。 ふと我に帰る。部屋には風も吹いていた。動きと気流で感じることもできた(ただ強い風が直接からだにあたって冷えた。 結構こたえたので間接風としてやわらかい方が私としては好みだったが) 正面には祭壇があり神聖な雰囲気遡っていくようれた安な気持ちだった。過去の記憶を辿ったりした。 目、耳、皮膚、記憶、自分自身に問いかけららかで静かに守られていたいひそかな場所だった。
94.1. 犬塚優子
母なる永遠
母を慕う雨のしずくは
耳元で気を失ってる
ひからびたミツバチ
凍てついた薔薇
封印された星
めぐりめぐって
たどり着くのは
母なる永遠
💫MEMO
Room Flowing With Milk &Honey「乳と蜜の流れる部屋」 5th Sept. ~2th.Oct 1994
Lalanne Gallery壁やパイプがむき出しのギャラリー空間自体を作品とみなすコンセプトで、全体をブルーのペンキで塗込めた。 正面にはミルクのアパートと題した彫刻作品(容器の集合体)を装置として備え付けミルク(とき絵の具)をそそぎ、真下には煉瓦で囲んだ花壇に土を盛り仮面彫刻を直に埋め、土の中に蜜壷を埋めた仮面は自己を他者とみた客観的視座の具現化であり、ミルクおよび蜜は想像へと誘うための暗喩的マテリアルとして使用。 壁面には仮面彫刻をはじめその他の平面作品を啓示した。ブルーに塗りこめることで、現実から隔たった空想世界を意図的に空間化し、想像力の働きによって自在にモノと精神とが相互浸透するような擬似的空間を演出した。前回のインスタレーションが女性原理に基づいているとすれば、今回は男性的な力というものに対峙するための創造的強度として、いわばアリス的世界の想像力駆使による現実逃避とそこでの均衡がテーマだといえる。現実と虚構、その他あらゆる両義性の境界に自己の他者性を見出すために、詩的インスピレーションを散りばめた寓話的インスタレーションという形になった。
✨MEMO
マーケットM氏からの紹介を受けて、初めてギャラリーと名のつく場で個展を開いた。しかも花の銀座であった。ラランヌギャラリーというところで、実に奇妙なギャラリーだったのを覚えている、いわゆる小ぎれいなギャラリーとは似ても似つかぬ内装で、といって、それがどこまで意図された空間だったのかさえもよくわからない不思議な場所で、地階におりてゆくと隣が確か理髪店だった。中は六畳一間ぐらいの狭い空間で、壁はデコボコ、パイプがむき出しで、今思えば、ただ手入れをしていない不躾なギャラリーだったような気もするのだ。当然、ギャラリー地区銀座といえど、異質な宇宙空間であった。オーナーは上品で綺麗なSという大のネコ好きなマダムがやっていて、アートよりはどちらかといえば、猫の身請けの話ばかりをしていた気がする。とにかく、室内四方天地を青いペンキで塗り、開催が終わった後は白いペンキで塗り直すという、今思えば気の遠くなる重労働をたった一人でやったのだった。訪問者も少なく、これまた当時の生き証人を探すのに一苦労だ。それでも、ふらり現れた美術ライターと知り合ったり、ミニライブも敢行できたという意味では、実に充実した一週間だった。
House Of Love 「愛のある家」10th~19th May 1996
写真家S氏が運営する下北沢BigBambooというカフェバーで、廃品物をメインにしたボックス作品展を開催した。言葉のオブジェ化(モノに名称を与え、その機能を含め架空の社会「愛のある家」を構成すること)により意味を超えた意味付けというコンセプチュアルな方向性をもとに作品を再構成した。 あらゆるモノ(廃棄物など)を具体的に作品として還元することによって、既成の価値を複数化し、同時にモノへの愛着を通して、物質と精神との接点をもとめた。想像力の治癒力を頼りにすること、すなわち価値のないものに価値を見出して行く行為をここでは基本的に愛と呼ぶ。それは個人の想像の意思を離れ、社会、つまりは外部に対するコミュニケーションアクセスとしての可能性を含んでおり、われわれの創造性は他者性において自己を超越しうる、ということを暗示的に浮かびがらせようと試みた。「
愛のある家のノートを読む
Caligravie 「カリグラヴィ 9th~14th.Dec.1997/渋谷LeDecoヴ
「初めに言葉編みき・・・」
ヴィジュアル風景の中にことばが溶け込んだイメージ。
ことばを物質化できないか、そこから生まれたことばのグラフィカルな実験。
カリグラフィがグラフィカルな処理の果てに行き着くところのRAVI(恍惚)である。
Rose Therapy 「ローズ・セラピー」 5th~15th.Aug.1998/渋谷LeDeco
オブジェ、コラージュ、彫刻、これらほぼ百点に及ぶこれまでの作品を一同に展示した空間に、ミニマルなサウンドに加えて芳香を加味した、いわば視覚、聴覚に嗅覚を加えたインスタレーションである。
怪物には薔薇治療を
粉砕せよとそれはいう
美しい八月の
雷鳴に似たまばたき
死に至るまで
笑い転げて
虚空さすらう
ARTOXIC 16th ~22th MARCH2023 M.A.D.Sデジタルアートギャラリー
イタリアミラノにあるM.A.D.Sデジタルアートギャラリーにて行われた国際現代展『ARTOXIC』に、デジタル作品を3点出展した。因習に固められた従来のギャラリーではなく、M.A.D.Sデジタルアート ギャラリーは、まさにアートの可能性に多角的にスポットライトを当てる面白いギャラリーだと思う。
ここの会場を運営していたのがマーケットという美術家集団であった。今となっては記憶も認識もおぼろげだが、何かの拍子で、この場の存在を知り、企画を持ち込んでみたら、快く場を提供してくれたのだった。準備作業は大変だったが、少なからず、好意的に協力していただいたことで、なんとか開催の運びになった。しかも無償でである。別に、入場料を徴収していたわけでもないが、自分としてはこの場所の管理者たちに、何も残しては上げられなかった。果たしてどこまで感謝の気持ちは伝られただろうか? そして、個展後も交流が続いたわけでもなく、時間とともに、その関係は自然消滅し、月日とともに場所も存在もなくなって、今こうして記憶に中にポツリ取り残されてしまっている。それでも、この場で知り合った人物たちは当時の自分には興味深かった。特にMという男には親近感を覚えていた気がする。今、何をしているのだろうか?
個人的には、この個展を開催した時期は人生の中でももっとも幸福な時期だったように思えるのだ。昨日のようにも思えるし、はるか遠い昔の夢物語という気もしないでもない。
一つだけ、心残りなのは、場を運営していた連中からのリアクションらしきものがほとんどないままに終わってしまったことである。同志ではなかったにせよ、なぜだか深い孤独をも同時に味わった。機会があれば、当時のことを色々聞いてみたい気がする。
そういえば、会場に、元SAKANAの西脇氏を招いて、ここで時間を忘れ音楽や美術について話し込んだ思いだけが奇妙に心に残っている思い出だ。