圧巻の悪漢道、第市幕の怪演と因果のなれそめ
1960年、同期のライバル雷蔵に差をつけられていた折、
勝新に巡ってきたひとつの転機があった。
犬塚稔が脚色したこの宇野信夫の同名戯曲『不知火検校』において
勝新は極めて異様で魅力的な主人公を演じたことだ。
監督は大映黄金期を支えたMR活動屋、森一生。
映画史において、盲目の主人公が人々の心を射抜くというのは、
決してありふれた現象ではない。
だが、そこに勝新太郎という異端の俳優が登場すると、
その図式はがらりと変わるのだ。
詐欺、強姦、強殺教唆、殺人、悪びれることなく悪行の限りを尽くし
それでいて、なんともいいがたい色気を放っているキャラクター。
ちなみに、検校(けんぎょう)とは盲人の最高位にあたる官位のことである。
つまりは、ただの按摩が権力という武器を手にすることで
想像もつかぬ悪の暗がりに引き摺り込むための手形というわけだ。
とはいえ、この作品は単なるピカレスクモノではない。
盲目という身体的制限を逆手に取って、
むしろ光の届かぬ深みへと観客を誘う、まさに堂々”闇の映画”の系譜だ。
森一生の演出は極めて抑制的で、
障子越しの影、蝋燭の炎、沈黙の間合いによって、不知火の存在感を際立たせる。
その姿は、まるで舞台の上の悪魔のように、
優雅で、残酷で、そして抗えないほどに美しい。
それにしても、いかにも悪そうな表情を携えて
ニヤリと笑う杉の市はなんとも不気味である。
この『不知火検校』で勝新が体現したかったのは、
いわば”悪の盲人像”であった。
しかし、それは後の彼の代表作『座頭市』へと繋がる、確かな起点でもあった。
後に始まる勝新伝説の柱、『座頭市物語』の公開が2年後の1962年。
ここから、日本映画史上に残るシリーズが始まるわけだが、
そこに登場する座頭市は、不知火とは似て非なる存在だ。
市は按摩でありながら、抜群の剣技を持ち、
賭場ではイカサマを見破り、権力には頭を垂れつつも決して屈しない。
彼は、不知火のように上昇志向に満ちた支配者ではない。
ときには情に溺れ、ときには無常に沈黙しさえする見者の趣さえあるヒーローだ。
スーパースターでありながら、絶えずなにものかに追われ、
いくつもの危ない橋を渡っては町から町へと流れゆく、
つまりは悲しき渡世の業を背負って生きる身。
むしろ、市は”闇の中でしか生きられぬ者たち”の代弁者であり、
庶民の視線に最も近い位置にいる。
ゆえに、そこから人気シリーズとして二十六話も続くことになる。
それでも、『不知火検校』の影は、確かに座頭市の背中にも差している。
たとえば沈黙の使い方。
欲望の匂いを嗅ぎつける感性。
それこそは「見えぬことが見えること」の逆説的表現である。
市が初めて刀を抜く場面の静寂と緊張は、
不知火が女を殺める場面の無音の恐怖に通じている。
勝新は、『不知火検校』という毒を一度飲み干すことで、
そこから市という新たな“闇のヒーロー”を生み出すための弓を引く。
勝新自身の発言に、
「影を持っている人間だからこそ光輝くものが出てくる」
という言葉があったと思う。
ここに、座頭市というキャラクターの真髄をみる。
不知火が支配と快楽の果てに破滅へと進む存在であったのに対し、
市は常に傷つき、迷い、誰かを助けながら、孤独に生きてゆくのだ。
まさにアウトロー、一匹狼の姿である。
だがその姿は、不思議なまでに清々しく、かくも美しい。
『不知火検校』から『座頭市』へ。
この道は、まるで闇夜の中を、
一本の刀の閃光が貫いていくようなものだった。
カチッと音が鳴り、刀が元のさやに収まったときには、
瞬く間に目の前の何かがまっぷたつになっている。
それが人であったとき、市は深い業とともに
改めてその暗闇に佇むことになる。
そして、われわれ観客はその一瞬の出来事に固唾を飲む。
だからこそ、『不知火検校』での悪行が
市が背負うであろう業に箔をつけることになるのだ。
負の因果が悪に導かれ、その因果がのちのヒーローへと連なる導線として、
悪は正義にはなれぬが、悪は悪でも道がある。
望まぬ悪に抗いながら、さすらいと業に転がされる運命へと突き進む。
じつに運命とはかくも奥深いものだ。
盲目という闇の中にこそ、人間の真実が見える。
勝新太郎は、まさにその闇の住人として
ここに光よりも眩しいヒーロー像の原型を生み出したのである。
座頭市を見るまえに、ぜひ『不知火検校』を見ておいて欲しい。
Ambitious Lovers – Too Far
アート・リンゼイは、ソロよりも、こちら、ピーター・シェラーとのユニットAmbitious Loversの方が好きだったのだが、そのなかでも1989年のファースト『GREED』は今聴いてもかっこいい。ファンクからボッサ、ポップまで、曲調はさまざまだが、その中のオルタナ的な楽曲「too far」、直訳すれば「行き過ぎ」という意味の曲を、『不知火検校』に捧げておきましょうか。不知火は市が決して行かなかった場所であり、行くことを拒否し続けた場所に文字通り現れ、行きすぎたキャラ。そんな男に似つかわしいノイズ、不協和音が鳴り響く。こちらはニューヨークという現代の都市の喧騒を歌っているものの、そのコアには相通じる線が敷かれている。そこには「感情を排した距離感」だけが、クールに貫かれた欲望という名の因果に導かれている。












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