怒り、嘆くより、慈悲深く、そして寛容に
一人でタクシーに乗る機会なんてそうないのだが、
ただ、その際に、全く話をしない、いわばただの運び屋と
世間話やら街情報やら、何かと口達者な“おもてなし”ドライバーと、
さて、あなたはどちらがいいだろうか? ふとそんなことを考えた。
いい悪いは別にして、このミニマムな公共空間で、
「ことば」はどこまで必要なのだろうか?
これだけの密室、狭い空間でたった二人きりだと
相手次第で大いに気分が左右されるだろう。
天気の話、街の話、社会の話、なんでもいいが、
仮にいっときだとしても、なにもないと無味乾燥だが、
行き過ぎればそれはそれでなにかと鬱陶しいものだ。
とはいえ、接客業は所詮人柄、キャラクターがものをいう。
空気職人、とでもいうべきか。
感じのいいドライバーにあたるに越したことはないとは思う。
いや、そんな幸運なひとときにあたれば惜しみなく感謝をしよう。
さて、ベトナム帰還兵によるタクシードライバーの都会の孤独、
生き様を描いたデニーロ&スコセッシの傑作『タクシードライバー』。
あるいは小咄上手なジャームッシュが『ナイト・オン・ザ・プラネット』で
場所ごとにオムニバス形式で映画を撮って
その才能の確かさを見せてくれたのがタクシー空間だった。
お題としてはさほど新鮮ともいえないまでも、
運転手と乗客だけのタクシー空間は
言うなれば、ストリーテラーとしての腕の見せ所だ。
そんな流れで観たのが『パリタクシー』、映画の舞台は花の都パリ。
『戦場のアリア』のクリスチャン・カリオン監督が挑んだこのお題、
本国でも大ヒットを記録。
わかっていてもじんわりくる、感動ものという言葉にはあまり食指が動かないが、
伝統のフランス人情譚だとわざわざ強調せずとも、なかなかの良作だ。
あえて避ける道理はない。
金も休みもないがゆえに、不器用で無愛想な主人公の中年男性の運転手
フランスの国民的スターであるコメディアンのダニー・ブーンのシャルルは
終活に向かうための高齢者用施設に引っ越す92歳の女性マドレーヌを乗せる。
彼女はシャンソン歌手リーヌ・ルノーが演じているが、
この国民的スター二人の呼吸が素晴らしく
そこから生まれる交流は、祖母と孫のように近しく、なんとも味わい深い。
ふたりはプライベートでも仲がいいらしい。
とりわけ、すでに90歳を超えるリーヌ・ルノーには
年を差し引いても優雅な物腰で
その深い年輪に見合う美しい時を刻みし、その人生が滲む女性である。
映画の中で徐々に明かされる彼女の人生は、実にドラマチックで
結婚、暴力、裁判、そして最愛の息子の死と、この映画を彩っている。
一方で、最初はぶっきらぼうで、荒んだ心のシャルルが
彼女の回想と言葉によってどんどん心開かれてゆく。
その過程がなんとも味わい深いのだ。
初恋の味は「オレンジと蜂蜜の味」というマドレーヌ。
最初は関心もなく、上の空だったシャルルも、
その波乱万丈の赤裸々な人生を語る老女の物語に惹かれてゆく。
彼女の思いに沿って、かつての思い出の地で足を止め優しくエスコートする。
信号無視をして、警察に止められ、危うく免停の危機にも
彼女の祖母のような慈愛と機智でもって切り抜けたシャルル。
常に不満と怒りを抱えている孫のような運転手に
「ひとつの怒りでひとつ老い、ひとつの笑顔でひとつ若返る」そう諭す老女。
ふたりはその密室の空間で微笑み合う。
気がつけば、苦境の人生に晴れやかな風が吹き抜けているのだ。
かつて、ぼくがフランスでタクシーに乗ったのを少し思い出した。
詳細は忘れたが、かれこれもう30年も昔のことだ。
カタコトぐらいは喋れたが、ネイティブとの会話なんて滅相もない。
しかも、異国の地、目的地へ辿りつくことだけで頭がいっぱい。
だいいち、ぼったくりにあわないか気を張っていたっけ。
そんな記憶だから、景観を楽しむ余裕すらなかったし
会話を楽しむなんて芸当は望みようもなかったのだ。
昨今のパリのタクシー事情も街の景観も、
映画をみただけでも当時とは随分様変わりしているのがわかる。
とはいえ、タクシーから臨むパリの街並みは
彼女の住む郊外のブリシュルマルヌから、
目的地老人ホームがあるイル=ド・フランスのクルヌヴォワまで
パリ市内を横断しながら、パレド・ジュスティヌ、
そしてエッフェル塔、シャンゼリゼ通りと
歴史と名所が色とりどりに目に飛び込んできて、
贅沢な映画の旅を味わうことになる。
しかし、物語はそれに反して
この老女のドラマのなかに、すでにこの運転手の憂い以上の
波乱万丈の人生が荒れ狂う。
そんな人生を、ひけらかすでもなく、感傷に浸るでもなく、
どこか達観し、寓話のように他人であるシャルルに語りかけてゆく。
シャルルもまた、その直面する逼迫した人生を徐々にさらしながら、
ふたりはいつしか心と心が通い出す関係性のなかで、フィナーレを迎える。
彼女を施設に無事送り届けたシャルルは
現実から目を背けぬわけにもいかず
妻との話し合いのなかで、家を手放す覚悟に至る。
もはや選択の余地がなかったのだ。
そんな厳しい現実を前に、ひとときに心の安らぎを思い起こしながら
妻とともに、彼女の施設を訪れるのだが、時すでに遅し。
すべてが過去のものになっていた。
そう、マドレーヌは時を待たずして、息を引き取った後だ。
悲しみにくれるシャルル。
時は残酷だ。
そして、映画はいよいよクライマックスを迎え
問題のラストシーンへと繋がる。
家族3人で、マドレーヌの墓を訪ねる。
そこで彼女の公証人から手渡された一通の手紙に
死を覚悟した彼女のシャルルへの想いが認められてあったのだ。
たった一日の出来事ではあったが
彼女に刻まれた縁に手向て、彼女の財産が贈られるという結末だ。
これに関しては、正直、賛否があるだろう。
確かに、物語としての最後にしてはあまりに出来すぎてはいる。
そんな夢物語があるだろうかと。
感動の上塗り映画は確かに苦手だ。
とはいえ、僕の答えは、それが別に重要なことではない、ということだ。
生活に困っていたあかの他人とはいえ
いっときの幸福を共有できたその感謝の気持ちを
もはや意味のないものをそのままにしてもしょうがないという必然で、
ならば、その幸福の共有者に託そう、という気持ちを
あえておかしいものだとは思わない。
映画としてのエンディングとしてどうか、
という命題はあるかもしれないが、
そこまでの素敵な物語に身を任せてきたものからすれば、
素直に受け入れるほうが自然のような気がするし、
こういう映画も悪くない、と思えるのは
人間としての成長というよりは、
自分もまた、そういうことを考える年頃になったのだという証しであり
人生の感慨なのかもしれない。
原題は『Une belle course』、つまりは「美しい、道のり」であり、
英語版は「Madeleines Paris(マドレーヌのパリ)」。
いずれにせよ、タクシーという乗り物を通して描かれるドラマ。
たかがタクシー、されどタクシー。
人生、なにがどこに物語が転がっているかわからないという映画作り。
終始、ことばに温もりと痛み、そして哀しみが漂う。
そんななか、心軽やかに身体を運ばれし幸福の数時間。
シャルルに、マドレーヌに、そして映画にメルシィボク。
Parlez Moi D’Amour(Moderne) The Moderns
まったく別の映画(アラン・ルドルフの『モダーンズ』)で使われていた曲で、リュシエンヌ・ボワイエが歌ったあまりにも有名なシャンソン「Parlez-moi d’amour 聞かせてよ愛の言葉を」を、マーク・アイシャムのトランペットとヴァイオリン、マリンバやエレクトロニクスを駆使した“レトロ+未来”の響きが素晴らしいアレンジバーションでお届けしよう。1920年代パリの幻想的イメージを音で描きつつも、ポストモダンな浮遊感が漂う独特のアンサンブルがなんとも魅力的。歌っているのはシャルレリー・クチュール。良き時代のフランスと現代性の調和が見事で、『パリタクシー』のシャルルとマドレーヌに捧げよう。
コメントを残す