中島貞夫「暴動島根刑務所」をめぐって 

暴動島根刑務所 1975 中島貞夫
暴動島根刑務所 1975 中島貞夫

アナーキー インザ刑務所

年に何回か、近頃めっきり手を出さなくなった
カップラーメンやスナック菓子といったジャンクフードのたぐいを
ふと口にしたくなるようなときがあったりする。
そんな感覚を映画に喩えてみるならば、
70年代東映の映画のラインナップにはまさにそのジャンク風味に溢れ
どうにも食指がそそられるのに似ている。
いいかえれば、ジャンクシネマ、まさにその宝庫からの誘惑だ。

思えば『仁義なき戦い』のような「実録路線」をはじめ
『女囚さそり』や『女番長・ずべ公番長』シリーズなどがそれである。
玉石混交ではあるものの、探せば好みに合う「お宝」が
どこかに眠っているはずだ。
必死になって捜索しようとまでは思わないが
偶然にも発見したときの喜びはひとしおで、
その一つが松方弘樹、その「東映脱獄三部作」なのである。

『脱獄広島死刑囚』から始まって『暴動島根刑務所』
そして『強盗放火殺人囚』まで続くその三部作、
とりわけ中島貞夫による最初の二作が抜群に面白い。
ずばり、エネルギーのすさまじさは特筆に値する。
脱獄がテーマだけに、並外れたバイタリティがなければ
そんな大それた芸など出来るわけもないというところで、
松方のキャラがひときわぶっ飛んでいる。

「脱獄もの」といえば、ジャック・ベッケルの『穴』や
ブレッソンの『抵抗』、シーゲルの『アルカトラズからの脱出』
などを思い浮かべもするが
あんなこんなで、手に汗を握るというか、
特に息が詰まるような緊張感を期待するわけにもいかない。
どちらかといえば、脱獄のプロセスは単純明朗。
ぶっちゃけ、そこは杜撰であり、
出たとこ勝負、漫画の世界と言っていい。
そもそも、そんな警備が成り立つのか、というぐらいの、
突っ込みどころ満載の抜け道だが、見所はそこではない。

さすがに、倫理上どうかは知らないが
法務省から直々にクレームが入るほど好き勝手をやっている。
が、知ったこっちゃないとばかりに強引に推し進めるのが東宝流。
たかが映画、されど映画の精神をいかんなく見せつけるあたり
当時の映画人の熱はそれだけで素直に感服だ。

ずばり松方弘樹の醸す尋常ならざるテンション、
はっちゃけぶりが最高に面白いのだ。
ここではその『暴動島根刑務所』について書き進めてゆこう。
松方演じる沢本保という男は、暴力団の男を射殺して
臭い飯を食わされるわけだが、ここは無法な学校かどこかと見紛うほどに
カオス状態に陥れる、その中心人物だ。

何しろ、気が荒く、喧嘩っ早い。
務所内でも問題ばかり起こして刑がどんどん加算されてゆくのだ。
その割に、どこか憎めないというか
最初に脱獄した後、河で溺れる児童を助けたばかりに
警察に表彰され、そこから足がついて再び監獄へ収監されるお人好し。
ドジといえばドジなのだが、そこが可愛いといえば可愛い。
ムショ内で、刑場の掃除を貸されて、
あわや首を吊りそうになったり、
作病してネジを飲み込み病院送りを目論むも
サツマイモをたらふく食わされ失敗。

そんな中、刑務所内で仲間を煽動した松方を筆頭に
飯抜きにされる囚人たち。
食い物の恨みはかくもすさまじきなり、とばかりに
「メシよこせ」騒動の発起人となり大暴れ。
まさにカオス状態の刑務所内で、
こんな啖呵を切る松方がなんともかっこいい。

わしら飯食うだけがこの世の楽しみなんじゃけ。
腹減ったけ飯食わせゆうただけじゃっ。

本作の原案はあの「仁義なきシリーズ」の美能幸三が絡んでいるだけあって
俳優陣もそのあたり重複している。
金子信雄や豚飼を禁じられ自殺する田中邦衛はいうに及ばず
最後一緒に大脱走逃亡を図るコンビの片割れがあの北大路欣也である。
その他、所長や看守という権力側には伊吹吾郎、室田日出男がいて
小狡い所課長にはあの佐藤慶が待ち受ける。
あちらも権力側に負けじと抗争でぶつかり合う囚人たち。
「仁義なきシリーズ」で三度人物を変え、
その生き死にを繰り返した“伝説”の男、それが松方弘樹であり、
彼こそは東映の辣腕岡田茂の息のかかった切り札であった。

そして最後は東映の二世スターで
同級生ライバルの北大路欣也との犬猿コンビでの網走送りとなるも
そんなときは阿吽の呼吸での逃避行が面白かった。
まさに「暴れん坊」と「プリンス」がタッグを組み、
列車から逃亡し、最後、手錠外しの強引なアクションまで
やること全てが獣的で面白く
なんとも痛快脱獄劇を見せつけられる。
この一本を気に召すならば、
是非続いて「脱獄広島死刑囚」にも手を伸ばして頂きたい。

INU:メシ喰うな

「俺の存在を頭から打ち消してくれ」というニヒリズム的内容からも『暴動島根刑務所』の内容からすれば、むしろベクトルは逆なのかもしれない。ならばこのINU「メシ喰うな」の完全パロディであるスターリンの「メシ喰わせろ(曲名はワルシャワの幻想)」の方がこの直情すぎる映画には似つかわしいのかもしれない。が、それはそれ。パンク歌手兼作家で名を成した町田康18歳のときのその尖ったエネルギーは、音としても今聴くにも十分堪えうる感性に後押しされている。同世代には、ピストルズの楽曲からパクったアナーキーというバンドもいたが、こちらもしっかりパンクの洗礼はあびてはいるが、音はそのあとのPILのオルタナティブ性に近いものだった。そのあたりに町蔵の並々ならない反骨精神を感じながら、当時の空気を思い出していると、映画の松方と同じく、共感と愛おしさが増してくる。これぞアナーキー。アナーキズムの原点だ。