鈴木清順『東京流れ者』をめぐって

東京流れ者 1966 鈴木清順
東京流れ者 1966 鈴木清順

任侠かアートか、ミュージカルか? これぞおふざけ楽しやエンタメ映画の流れ者だ

何処で生きても流れ者
どうせさすらいひとり身の
明日は何処やら風に聞け
可愛いあの娘の胸に聞け
ああ東京流れ者 

多分にもれず、洗脳されているのには自覚がある。
頭の中で渡哲也が歌う「東京流れ者」がどうにも鳴りやまず、
口からもれなくフレーズが飛び出しては、ご機嫌に浸ってしまう自分がいる。
そりゃあ誰だってそうなりましょうよ?
それが鈴木清順『東京流れ者』を見た後の
清順狂のザマよ、ってなもんである。
通常のヤクザ映画のように、肩で風を斬るなんざヤボ中のヤボ。
そんな単純なアホウドリは相手にしないぜ、などと息巻く。
ただただその快楽にひとりごちるわけなのさ、あはは。

それにしても、もっとも清順らしい映画の一つと言えば
『殺しの烙印』か『チゴイネルワイゼン』か
はたまたこの『東京流れ者』か、
まあ、そこのところはマニアの間でも
大いに意見が別れるかもしれない。
が、どれをとったって、面白いのだからこの際、優劣なぞ無視。
が、ここはちょいと遊びが過ぎている。
とにかく、凝りに凝ったセットやカットが満載で
セリフから、色、構図、小道具に至るまで、
隅々から計算づくしに感覚を刺激してくるではないか。
これぞ美術担当、木村威夫先生の仕業である。
助監督についていた曾根中生のお言葉を借りれば
「モンドリアンの絵が小刻みに動いているような」
そんなポップ感覚に溢れた作品を見事に演出している。

冒頭のモノクロームシーンからカラーに入ってゆくところで
字幕と共に「何処で生きても流れ者〜」が被ってきて
ここですでに感覚が麻痺していくのが手に取るようにわかるのだ。
で、時折挟まれる枯れ木のショットになんじゃありゃ、と呟くも、
渡哲也演じる不死鳥の哲の、もののあわれ観を象徴しているのだと、
一応納得のふりをしてその場は済ます。
とにかくビルだの、バーだの、その一室そのものが
まるでオブジェのような、漫画のようなセット。
乗り込んだバーの一室で、扉を開けたら落とし穴ならぬ、
落とし扉が開いて真っ逆さまズドン。
なんとも言えぬ大胆不敵さに笑うしかない。
そしてその誠実な男に似つかわしい淡いブルーのスーツを纏って、飛び回る不死鳥の哲は
「三度転んでダメだとわかると、きっとハリケーンを吹かす男」
で、文字通り、そんな簡単にゃあ死ぬ訳もない。
なんたってスターだからだ。
て言うか、そんな簡単に流れ者に死なれちゃあたまらないわけよ。
そんなタフでクールな男っぷりに、
そりゃあ、お目々ぱっちり、リボンかなかよしか、
まるで少女漫画から飛び出してきたかのような
松原智恵子嬢も惚れちまうわけさね。
(ところがどっこい、この智恵子さんをば
「流れ者には女はいらねえんだ」なんてほざいて捨てるんだからさ・・・)

しかし、誰もストーリーに手に汗握ったりはしない。
むしろ、目を白黒させて、ハッとしたり、
あっと驚いたり、なんじゃこりゃと腹を抱えたり頭を抱えたり。
そんな道中、絶えず追っ手が命を狙うところは
うーむ、こりゃあ任侠映画に見えないわけでもないか。
てんで、その義理と人情に厚い元ヤクザな男が
ひたすらさすらいの旅に出て、這々の体で戻った先で
最後、その義理に裏切られたことを知って
一路東京へと、男の哀愁を滲ませながらも
美学の結末を爆発させるって展開だ。
が、そのセットがまさにシュールな一枚の絵のごとく、
さしずめキリコかマグリットか?
てな仰天の仕掛け満載。
これ以上書くのはやめようかな。

いや、そうしてよくよく考えると
やっぱりこりゃあ任侠映画なんかじゃないよなってわかるし、
ある種のミュージカルなんだなってことに気づかされる。
その手法が、誰かに似ているはずはなくって
むしろ、そのマジックにやられるフォロアーが出てくる始末。
そう、あの『ラ・ラ・ランド』のデミアン・チャゼルが
本作にオマージュを捧げているとかいないとか。
わかると言えばこの上なくわかるし、
わからんねえ、と言えばよくわからない。
(そりゃあ『ラ・ラ・ランド』も悪かないけどねえさ)
が、そんなことはこの際どうでもよろしい。
誰もが、唖然としながらも、なぜかその強力な映像マジックに惹きつけられる。
佐世保のキャバレーで見せるスラップスティックなんて
ありゃドリフの原型か、なんて思わせる、
これぞ破天荒なドタバタコメディ満開っぷり。

それにしても、雪の中のシーンがサイコーにイカしている。
迫ってくる機関車を背に、哲の前に引かれた「射程距離10m」の赤いライン。
そんなことを渡哲也が理解して演じているとは到底思えないが、
律儀な哲はそのラインからまむしの辰を狙う。
そして、雪原にポツリ、赤提灯にポスト。
なんとも唐突すぎる赤、赤、赤。
それじゃあまるであの小津に対抗しているかのよう、
などと馬鹿げた妄想を抱いてはみるが、
そんなものは瞬時に果てるってことよ。

そんなことがあるはずもない。
あろうはずがない、と思うがどっこい、
どこかで遊び心が顔を覗かせるってことは往往にしてあるんだな。
だって、それが鈴木清順って人なんだから。
と言うのも、元ヤクザの組長倉田はあの北竜二。
後期小津映画で、あのなんともとぼけた感じの
ハイソなおじさまの一人を、
笠智衆や佐分利信や中村伸郎などと共に演じていた、あの北竜二がだよ、
ここでは義理に反する裏切りの親分を演じているのだもの。

しかし、最後はシュールな絵の中で
盃を返され自ら自決でおじゃん。
うーん、こりゃやっぱり清順だわ。
こんなことを考えつくのはこの人ぐらいじゃない?
なんとも不思議で人を食ったような展開で、
ストーリーに一喜一憂してちゃあ目がいくつあってもたりはしない。
然れど、これぞ清順好きにはたまらないって感じのオンパレードの映像美。
ああ、東京流れ者♬。
たまらないのである。
嗚呼、清順万歳!

東京流れ者 :渡哲也

弟渡瀬恒彦の凄さは存じているのですが、兄貴である渡哲也の良さはなかなかわからなかった。でも、この映画を観て以来、その渋さを再認識した次第。弟ほどヤンチャではないにせよ、若き日にはいろいろ武勇伝があったそうな。清順曰く、「石原(裕次郎)さんが太陽なら、彼は月です」。で、この映画の挿入歌でもある「東京流れ者」。いろんな人が歌っているけど、やっぱりこのバージョンが最高にカッコイイな。流れ者って響きがたまらなく響きます。

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