夏の終わりのECM特集

夏の終わり
夏の終わり

音の粒がみえますか?

9月の声を聞いてもまだまだ暑い日が続いている。
とはいえ、ぼくはしっかり秋を受け止めている。
朝夕のちょっとした静けさ、涼しさのひととき、
そして空の青、雲の流れ、風のなかに棲むなにか。
やはり、九月は季節の変わり目
心を洗い直すにはいい季節だなと思う。

さて、音楽のトピックをいろいろ書いてきたが、
ぼくが今、一番コンスタントに聴き続けている大事な音楽
そのなかのひとつ、ECMの音楽から
季節のおわりとともに、味わい深く耳を傾けているものを
最後にリストアップしながら、この特集をフェイドアウトしようと思う。
正直なところ、ECMからリリースされる音楽を、
一枚一枚味わいながらじっくり聞くのは、そう容易いことではない。
BGMのように、聞き流すような音楽ではないし、
ひたすら、問いのような思いを投げかけられる。
無論、優劣などをつけている場合でもないほどに、
魅力的で充実したラインナップで占められている。
幸い、サブスクの時代、聴き放題、よりどりみどりの中で、
直感に従って任意に聴いているのだが、
この豊穣な音の森から、そう簡単には抜けられそうもない。
生涯にわたって付き合ってゆく音楽体験だといえる。

僕個人は80年代あたりから、ワールドミュージックの流れで聴いてきたが
ECMを代表する、ぼくの大好きなミュージシャンたちも歳をとり、
たくさん並ぶECMのランナップのなかにも、知らない名前、
これまでにない傾向の音楽もずいぶん混じっている。
あるときは、そのジャケットイメージから、
あるときは、なんの情報もなくまったく不意に、
そして、なにか引っ掛かる思いを辿って聞く一枚一枚。
どれをとっても、基本的にハズレがない。
マンフレット・アイヒャーの求める、気高く理想高き音楽が、
宝石のように最高の録音物として収録されているものばかりだ。
音の傾向に好き嫌いは、多少はあるにせよ、
概して、録音物としての確かさ、音の豊かさは、
真の音楽好きにはたまらなく響くだろう。
けしてごまかしのない、本物たちによる美学。
まずは手始めに10曲。
この移り変わる季節の、いまのぼくの心情に寄り添ってくれる
本物の音楽たちに乾杯。

季節の変わり目、ECMの10曲

Ralph Towner:The Prowler

ECMレーベルの歴史と美学において、きわめて中核的な存在を担う顔、ギタリスト、ラルフ・タウナーの、2001年のアルバム『Anthem』から。タウナーはクラシック・ギターと12弦ギターの交替演奏が特徴的で、レーベルには素晴らしアルバムを何枚も残しているが、この「空気感」や「残響」を際立たせる録音は、一音一音が実に艶やかで、繊細で、光をまとった風のように軽やかであり、同時に静けさを導く影のような奥行きを持っている。「The Prowler」には、まさに、去り行く夏の残像をたっぷり含んで、音楽ファンを唸らせる一曲だと思う。

Pat Metheney: WATRECOLOR

ここにはまだ輝かしく瑞々しい夏が夏として残っている。それはどこか、記憶の夏かもしれない。パット・メセニーの名盤『WATRECOLOR』は、夏の午後の緑陰に走る風を音にしたような音色が聞こえてくる。このタイトル曲では、パットの旋律とメセニー・グループのライル・メイズの鍵盤、エバハルト・ウエーバーのメロディアスなベース、そしてダニーゴットリーブの弾むようなドラムとの調和がすこぶる心地よく、高揚感を伴いながら、水に流れのように、しずかにフェイドアウトしてゆく。

Ketil Bjørnstad · David Darling The Lake

ノルウェー・オスロ出身で、作家でもあるピアニストケティル・ビヨヨルスタのピアノと、ECMを代表するチェリスト、デヴィッド・ダーリングによるデュオアルバム『Epigraphs』より。ECMの厳格な録音物としての現代性を保ちつつ、ここにはヨーロッパ各国のルネッサンス期に活躍した作曲家による曲も取り上げた古典音楽の要素を埋め込むことで、「過去」と「現在」の接合点を聴くことができる。「The Lake」では、遠い日々の印象絵画のような淡い色彩の中に、失われた時間が見知らぬ記憶を伴ってゆっくり、静かに立ち上がってくる。ちなみに、このアルバムの楽曲は2001年公開のゴダール作品『Éloge de l’amour』で使用された。

MILD Jakob Bro / Thomas Morgan / Joey Baron

デンマーク出身のギタリストヤコブ・ブロと、トーマス・モーガン、ジョイ・バロンのトリオでのライブアルバム『Bay of Rainbows』より。実に繊細さで物悲しさ漂う「MILD」という曲の空気感は、終わりゆく夏の名残と、来るべき秋の気配、その両方のニュアンスを含んでいるように思える。なかでもブロのギターは、どこかボリュームペダルの使用によるフリーゼル的なピッキングのアタック音を隠し、音の立ち上がりをあいまいにすることで、しずかなドラマ性を紡ぎ出している。最後の拍手で、これがライブ音源なんだということがわかるが、その場にいると、いい意味で、思わず眠ってしまいそうになるような催眠効果のある曲だ。

Anouar Brahem Le pas du chat noir

チュニジア出身のウード奏者アヌアル・ブラヒムのリーダーアルバム『Le pas du chat noir』よりタイトル曲。ドビュッシーやサティを思わせるようなフランス近代音楽的和音を響かせるFrançois Couturierのピアノ、そしてJean-Louis Matinierのノスタルジックなアコーディオンの音色。アラブの弦楽器「ウード」+クラシックなピアノ+アコーディオンという、ECMならではのきわめて珍しい組み合わせで聴かせる哀愁。そのウードが、アラブ音楽の文脈を越えて、不思議な静謐な異国情緒を伴って、名残惜しい夏を引きずるかのような残酷な時間を運んでくる、そんな不思議な思いが漂う。砂漠を放浪するランボー、あるいは、太陽の眩しさに目を細める『異邦人』のムルソーなどの姿が浮かんでくる。

Kokonum · Miki N’Doye

ECMには珍しいアフリカンカラー。ガンビア出身のパーカッショニストミキ・エンドイェのECMデビューアルバム『TUKI』より。「Kokonum」では、kalimbaの反復をモチーフにした、ガンビアの打楽器・リズム伝統を基盤としつつ、Jon BalkeのキーボードやPer Jørgensenのトランペット、それぞれヨーロッパの現代的音響、即興やアンビエントな感性と混ぜ合わせることで、新しい地平を開いてくれる、洗練されたアフリカを聴かせてくれる。どこか子守唄のような心地よさだ。

Charles Lloyd  You Are So Beautiful

コルトレーン的スピリッツを背負う、アメリカ・メンフィス生まれのチャールズ・ロイドが、ECMで刻む詩的抒情が滲む『Lift Every Voice』より。ビリー・プレストンの名曲「You Are So Beautiful」には、ブルースとゴスペルの影響、息遣いを感じないわけにはいかない。とはいえ、祈りに通じる穏やかさを感じさせる、夏が過ぎ去った後の、穏やかな秋日和に聞くにはぴったりの一枚ではないだろうか?

Kim Kashkashian / Robert Levin Elegy

NEW SERIEのなかから、1984年リリースのヴィオラとピアノのデュオ形態Kim Kashkashian(ヴィオラ) / Robert Levin(ピアノ)による室内楽『ELEGIES』より。優雅で、気品ある佇まいに「静寂」「影」「余韻」を漂わせる。アルメニア系アメリカ人のキム・カシュカシャンという女性奏者としての先駆者的なヴィオラ奏者は、空気と沈黙をデザインする詩人ともいうべき、静謐な音とともに、現代的緊張感をつねに保ち続けながら、クラシックの枠を越え、アルメニア音楽、地中海詩歌、ミニマリズム、即興的な感性と融合していく柔軟な姿勢をもつ、ECMのレーベルカラーにみあった奥行きのある音楽家だとえいる。

Lo · Manu Katché

Sting や Peter Gabrielとの共演で知られ、ロック、ポップ、ワールドミュージック、ジャズの間を自在に行き来するセッション・ドラマーとしても著名なマヌ・カッチェ。そのカッチェのECMでのリーダーアルバム『Playground』を聴くと、その繊細な感性におどろかされる。すくなくとも、グルーヴを追うタイプのドラマーとは一線を画す音の余韻を大事にするタイプのコンポーザーだというのがわかる。

Dino Saluzzi Anja Lechner : Minguito

僕がECMレーベルの中で、最も好きなミュージシャンの一人、バンドネオン奏者のディノ・サルージと、クラシック畑のチェリストアンヤ・レフナー によるデュオ・アルバム『Ojos Negros』から。サルージのソロに見られる強烈な故郷アルゼンチンのもつ郷愁感に、即興と民族性の哀愁が激しく行き来する構造。どちらかが主役/伴奏というよりは、二人の声が重なりあい、相互作用するECMらしい個性の共鳴によるデュオ感覚の強いアルバムである。

  1. The Prowler from 『Anthem』 (2001) Ralph Towner
  2. WATRECOLOR from 『WATRECOLOR』 (1977) Pat Metheney:
  3. The Lake from 『Epigraphs』 (2000) Ketil Bjørnstad  David Darling
  4. MILD from 『Bay of Rainbows』 (2018) Jakob Bro / Thomas Morgan / Joey Baron
  5. Le pas du chat noir from 『Le pas du chat noir』 (2001) Anouar Brahem
  6. Kokonum from 『Tuki』(2006) Miki N’Doye
  7. elegy from 『Elegies』 (1984) Kim Kashkashian · Robert Levin
  8. You Are So Beautiful from 『Lift Every Voice』 (2003) Charles Lloyd  
  9. Lo from 『Playground』 (2007) Manu Katché
  10. Minguito from 『Ojos Negros』 (2007)Dino Saluzzi Anja Lechner