巨匠の遺作はメロドラマティックアベニュー
成瀬巳喜男による遺作『乱れ雲』は
一見よく似たタイトルの傑作『浮雲』ほどにドロドロとした男女のもつれこそないが
名匠これにて完、まさに万感の思いの込められたラストが実に感慨深い。
いうなれば、ハッピーエンドには至らないが
その過程を見守るだけのメロドラマ、である。
男と女がそこにいるだけで、絵になるのだが、
それが全くくどくもなく、どこまでもさりげないのが味である。
最後にして大傑作、とまであがめたてまつるつもりもないが
最後まで“らしさ”を失わず、匠の集大成ここにあり、
これぞメロドラマの名匠ダグラス・サークに匹敵する名作であり
成瀬恋しやたる、実に名残惜しい遺作として
それを謳いたくなるほどに、この『乱れ雲』が愛おしい。
成瀬の作品は、しばし対比される小津作品とは違って
どちらかといえば人間のいやな部分や、
庶民感覚における、ちょっとしたすれ違いを描いてきた作家といえる。
実際、そうした関係性の綾を、これほどまでに巧みに描き出せる作家など
この日本において、いまだ思いあたらない。
むろん、ハッピーエンドやエンターテイメントなどは似つかわしくないし、
奇想天外なストーリーやドラマチックな展開を期待してもムダなのである。
いずれにせよ、後味はつねに苦みばしり、
文字通り、渋く静かに余韻に浸らせてくれる監督である。
『乱れ雲』は、いわゆる不義密通の不倫ものというわけでもなく
単に大人の男女の恋模様の始まりと終わりを描いているだけでもない。
幸せの絶頂にあった一人の女を
不幸のどん底に貶めてしまった男との間に生じる、
感情の再生と浄化をめぐる葛藤のメロドラマである。
踏み出したいが踏み出せない、
乗り越えたいが乗り越えられない、そんな運命というものに対するあがき。
それをどうにかこうにか、ふたりが受け入れるだけである。
夫の出世と妻の出産を手に、薔薇色の人生を踏み出そうという夫婦に
ある時、いきなりアクシデントが襲う。
妻は夫を交通事故で亡くしてしまう。
事故ではあるが、加害者側もタイヤが外れての不慮の事故であり、
判決でも案の定無罪が確定する。
ドライに割り切ってしまえば、
加害者は法的に罪人ではないし、被害者は無念だとはいえ
あきらめるしかない事例である。
とはいえ、死んだ人間が戻ってくることはなく
幸せを失った女やその家族からすれば
たとえ、不慮であれ、なんであれ、加害者憎しの思いが
そう簡単に感情から拭い去られるわけでもない。
そこがまずドラマの入口として差し出される。
そういえば、前作『ひき逃げ』においても
ずばり、交通事故というテーマを正面に掲げた作品を撮った成瀬、
他にも戦争未亡人が息子を交通事故で失う『女の歴史』を含め
成瀬と交通事故との間に、なにかあるのかと想像してしまうが、
そのあたり、今だ映画評でも、これといった話を聞いた試しはない。
あくまでも物語上の偶然なのだろうか?
いずれにせよ、そんな被害者と加害者が恋に落ちる。
恋に落ちると言っても、背徳感やゲーム感覚は皆無であり
ひたすら道徳感ゆれうごく狭間で、その心の移ろいが痛いほど伝わってくる。
その交わりが、かくも美しく描き出されており、
クライマックス、旅館で男が熱を出し、それを看護する女の構図には
色恋を超えたときめきさえ感じてしまうのだ。
それにしても、男はあの天下の加山雄三である。
正直なところ、若大将加山雄三になど、こちらは全く食指が動かないし
見映えはいいとはいえ、お世辞にもうまい俳優だとは思わない。
そんな思い入れもない俳優も、名匠成瀬の手にかかれば
この『乱れ雲』や『乱れる』に関してだけでも
十分、その存在を心にしっかり留めて離れないほどの印象を刻みつけている。
ともに、素晴らしい存在感から、加山雄三でなければ他にだれがいるのか、
とさえ思わせてしまう存在感を醸し出しているのだ。
起用に立ち回ってしまういい男だと台無しの役所でもある。
どこかしら、軽々しさがあるが、不器用かつ一途な面があって
見ている側をイライラさせながらも、物語をハラハラうまくつないでゆく。
普通にやれば、凡庸かつメリハリあるだけの色恋沙汰に終わってしまう話を
なるほど、とうならせる成瀬の演出の妙を引き立てているのはその鈍感さだ。
『乱れ雲』における加山雄三はかくも素晴らしい。
一方、ヒロインの司葉子も、色がないようでいて、実は芯の強さは譲らない。
グイグイと運命を乗り越えようとする男に翻弄されながらも
けがれなき色にうっすらと感情をにじませ、決断は動かない。
小津作品でみせるような、ただそこにいるだけのひな壇女優という印象とは違うのだ。
成瀬映画でみせる心の揺れ、いわゆる背徳心に抗う様子をみていると
その清楚感ゆえの美しさが、より強調されているように思えてくる。
そんな二人の口づけシーンなど、ロマンティックの範疇を超え
官能水域さえもこえて、ただ純粋に胸を打つ。
十和田湖での真夏の新緑、雨、情景にも映える、
そんな叙情が美しい映画である。
この奥行きにしみこんでくるような武満徹のスコアも手伝って
我々が見せられるこのメロドラマが、
けして低俗さにおとしめられることなく高みに向かう。
それがラストシーン、感傷ギリギリの別離が待ち受けている。
男はラホールへ、女は新たな人生へと向かう。
それぞれ列車内、湖畔とショットを変えて終わりを告げるのだが、
あらゆるものにムダがなく、それが何より雄弁に心情を伝えている。
細やかな視線の交わりや、さりげないショットの積み重ねで
大人同士の恋模様にもってゆく演出の芸当に、ひたすら息を吞むだろう。
しかし、やがて列車は到着駅に達し、湖畔に陽が落ちる。
乱れた雲など、もはや目の前にはないという塩梅である。
Chic: At Last I Am Free
この映画にぴったりな曲はなにかな、と思いめぐらせていたら、真っ先に「At Last I Am Free」が浮かんできた。どちらかといえば、ロバート・ワイアットのカバー曲の方になじみがあって好きなんだけど、ここはオリジナルのシックのバージョンを贈ろう。カバーバージョンとどちらがいい、悪いはないんだけど、こうやってシックの曲を聴いているとしみじみ良い曲だなと思うね。
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