ファニーかシックかノワールか、日曜を飾る御御足かっぽれ
前日の疲れが抜けきらず、久しぶりに家でゆっくり過ごす日曜日。
アルファベットやかなを刻む銀色のタイルが並ぶ
わが美しいPCノートブックのキーボタンが
なにものかによってひとつ欠けてしまっているのに気づいた。
糞っ。どうやらもとには戻らないようだ。
ふぅ〜、ため息。
機能には問題はないが・・・
まずはそんなミステリー仕立てで入らせていただく。
これは何かの伏線だろうか?
で、犯人は誰なんだ!?
勝手になるわけがない。
もっとも、こいつはヤツの仕業以外の何ものでもないと
同居人は察する。
老境に至りても、やんちゃを繰り返す猫。
どうやら犯人はヤツである。
少々のことはもうあきらめている。
破壊と創造は紙一重の行為なのだと言い聞かせながら。
それに、猫の行動経路にノートブックを開いておいておく、
そんな脇の甘いこちらが悪かったのだ。
つまり自分自身、間接的な“共犯者”だったってわけよね。
推理小説や犯罪映画の落ちなどというものは
えてしてそういうものなんじゃないのか?
などと冴えない物語を呟く。
あのヒッチコックも鼻で笑うような
もったいぶった出だしを書き連ねたのは
今夜トリュフォーの『日曜日が待ち遠しい!』を観たからだ。
フィルム・ノワール、つまりは犯罪映画でもあり
同時に軽妙なコメディタッチで描かれた、
ファニー・アルダンとジャン=ルイ・トランティニャンの
なんとも渋い大人の恋の物語でもある。
ジョルジュ・ドルリューのスコアに乗って
オープニングから、こちらは犬が絡んで
路上を小気味好く闊歩するアルダンが素敵すぎる。
これってタチ讃歌?とでもいうべく、牧歌的な始まりに胸がときめく。
殺人容疑をかけられ、地下室から出られなくなった社長。
このトランティニャンを救おうと
颯爽そうと探偵へと変身する秘書のアルダン。
小気味好いタイプライターの音を響かせる、
かっこいいキャリアガール風アルダンが
男物のコートを羽織って街へと繰り出す。
それが実によく似合っているのだ。
なんともかっこいい。
しかも、その中は日曜演劇の、
ちょっとこっぱずかしい衣裳をまっとっているのが面白い。
それにしても、ファニー・アルダンの御脚の美しい事!
この美しい脚を見せられて思い出したのは
「女の脚は地球を測るコンパスである」というトリュフォー自身の名言だ。
お尻かな、胸かな、うなじかな?
いや、ぼく自身も、女のひとをみるときまず脚をみる人間だ。
特にシルエットの美しさに目が奪われてしまう。
その次に顔へと映る。
目か唇か、ということになって
だいたいは「顔」のパーツということになる。
それでも顔の良し悪しばかりを伺っているつもりはない。
まじめにいうと、「しゃべり方」。
つまり「声」には重きをおいている。
といっても、街で通りするぎる女、
ひとりひとり声を聞いて回る事なんてできやしないけど・・・
ちょっと話がずれてしまったけれど、
もしファニー・アルダン級の脚をみたら
やっぱり視線は磁石のように吸い寄せられるに違いない。
それはこの映画の筋にさして関係ないかもしれないが
最後、この物語の落ちにくるとそのことが
ちょっとだけ重要だったことが分かる。
つまるところトリュフォーの視線は間違いなくファニー・アルダンの脚
ひいては女の脚に向けられているからだ。
ファニー・アルダンの脚、その歩くさまそのものが
トリュフォーの映画の神髄なのだと。
それにしてもアルメンドロスのモノクロ映像が美しく
最後までトリュフォーらしい軽妙でロマンティックなタッチを継続する。
夜、そして雨。
フィルム・ノワールの締まった闇に漂うサスペンス。
犯人はだれだ?
それをツンデレアルダンが颯爽と謎といてゆく。
それにはやっぱりモノクロが最適だ。
これはある意味、道理である。
肝心のストーリーは正直どうでもよいのである。
ただ、これが遺作となったのは、ちょっと寂しい。
いや、これだけの映画を撮れるトリュフォーに
ここでさよならするのはいよいよもって辛すぎる。
ラストを恋人アルダンで締めくくった映画人生に
せめてもの救いはあるのかもしれない。
どちらかといえばゴダールよりはトリュフォーを
こよなく愛して来たぼくのようなトリュフォーオタクにとっては
なんども見返してみたい映画こそは、
トリュフォーのような思い入れの強い映画だととっくの昔に気づいている。
この映画のアルダンの美しさ、可愛さは特筆すべきレベルだ。
そんなことを思いながらこの映画を観た。
しかも今日は偶然日曜日。
原作チャールズ・ウィリアムズの『土曜を逃げろ』が
『日曜日が待ち遠しい!』へと脚色された。
室内撮りの方が断然いいネストール・アルメンドロス。
動きのあるものなら、
『トリュフォーの思春期』のウイリアム・グレンの方がいいよな、
なんて思いながらもファニー・アルダンの美しい脚は
早撮り仕様でアルメンドロスに委ねられたのは正解だと思う。
まさにアルダンによるアルダンのための映画に
軽く酔いしれた日曜日であった。
The Velvet Underground : Sunday Morning
バナナのレコードとして有名なベルベット・アンダーグラウンド名盤の一曲目を飾るのがチェレスタという鍵盤楽器の旋律で始まる「SUNDAY MORNING]。激しいロックンロールでもなく、どこか夢見ごちの雰囲気に包まれたこの曲は、ウォーホルの意向を受け「パラノイアについての歌」を書いたのだという。「日曜が待ち遠しい」のではなく、「日曜もまた何もせず過ごしてしまったなあ」という感じのけだるい、そんなどこか厭世的な空気が流れている。
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