アレクサンドル・プトゥシコ『妖婆 死棺の呪い』をめぐって

妖婆 死棺の呪い(Вий) 1968
ゲオルギー・クロパチェフ&コンスタンチン・エルショフ[妖婆 死棺の呪い(Вий) 」1968

カルトか、ホラーか、この様式ヴィーを見よう語ろう

1967年に撮られロシア発のカルトホラームービー『妖婆 死棺の呪い』を
久々に見返したところである。
これが今時ないスタイル、言うなれば手作業ホラー感満載で案外面白いのだ。
その昔、ローカルのテレビでも幾度か放映されたような記憶があるし
映画館でも時々、何かの特集のなかの一本にかかる映画で、
事あるごとに見てきてはいるのはだが、
その割には内容がいまいちよく思い出せない。
いつもどこかで微睡んでしまうからなのか、
それともストーリー性があってないような話だからなのか。

内容の方は通常のホラーとは多少温度差があって、
ほのぼのした雰囲気と恐怖とが入り混じった、
ちょっとユニークなホラー作品なのである。
傑作と言わないまでも、カルトの名には恥じない、
ファンタジー色の濃いホラーともいうべき内容で、
さすがは玉石混交のロシア産だけあって、味わいのほどがある。

夏の怪談話よろしく、
大声で談笑するような映画ではなく、
いわばヒソヒソ系のホラームービーとして
どちらかといえば知る人ぞ知る、あくまでB級の域をでない、
そんなテイストが好きな人間だけが
静かに、ムードを込めて語りつぐ、といった雰囲気の映画なのである。
ただし、これを誰かに勧めたくとも、現在そう簡単に鑑賞できない。
これを人と共有する前に、
まずは自分の言葉で、なにか書き残しておきたいのだ。

モスフィルムの監督高等科の卒業制作ということもあり
監督はゲオルギー・クロパチェフとコンスタンチン・エルショフなる人物の
学生による共同制作なのだが、他の情報はほぼ知らない。
おそらくは、そんな彼らを補助し、
脚本および特撮監督のアレクサンドル・プトゥシコという人で
監修で名を連ねるところをみれば、
その色が強く反映されているのは間違いない。
というのも、元はパペットアニメの制作者だったこともあって、
視覚的なセンス、スペクタクルに満ちた映画を得意としているらしい人物で、
この『妖婆 死棺の呪い』を見れば、その点は至極納得できるだろう。

原作はドストエフスキーにも多大な影響を与えたとされる
ロシアの文豪ニコライ・ゴーゴリで
「ヴィー」というのは東スラヴ民話上の土の精、
つまりは死の目を持つ地下世界の妖怪のことらしい。
その目は普段、大きな瞼や睫毛で覆われていて、
誰かに持ち上げてもらわないと見えないというから、
なんともおかしな妖怪である。
その妖怪が姿を見せると、まぶたを持ち上げてくれといいながら
周りの妖怪たちのアシストでようやくまぶたを捲るのだが、
その下の瞳を初めてそこで拝むことが出来る。
素行は粗野ではあるものの、そのキャラは結構ずさんな感じの、
いうなればゆるキャラ的な妖怪なのだ。

登場する妖怪たちは、
あたかも、水木しげる先生もびっくりの
複数の鼻の妖怪だったり、こびとの妖怪だったり、
クマの人形のようなぶさかわいい妖怪だったり、
その一同が大暴れをして主人公を襲う、
この「百鬼夜行」シーンがハイライトになっている。
文字通りの狂気を発揮して、神学生ホマーは呪い殺されてしまう。
考えてみたら、何をしたでもない男が
どうして殺されなければならないのかがよくわからない展開だが
文字通り、呪いの映画というべきか、
コメディだかシリアスだかわからないような、
そんな全体のチープかつ不気味な空気感にはひきこまれること必至である。

なんと言っても怖いのは、
ナタリア・バーリー演じる死せる美女にとりついた死霊、ではなく、
憑依しているおっかない老婆の魔女であり、
ホマーを呪い殺してしまう元凶だけあって、流石に凄みがある。
前半、箒を手に持ってホマー共々空中を飛ぶシーンなどもあり、
神学生を誘惑しようとするのだが、さすがにこんな老婆に
そそのかされる男などいるわけないだろう、というところで、
この老婆の魔女が一点美女に変わる。
その点はどこか漫画の世界でもある。
この老婆、元の棺桶に収まるのはいいが
木製の古びた棺桶がバラバラくずれたりするあたりが
なんともおかしかったりする。
こうしたアンバランスさがこの映画のもつ魅力でもある。

その他、棺桶がぐるぐる空中をメリーゴーラウンドのように旋回する
棺桶サーフィンのシーンや
ナタリア・バーリーのパントマイムシーン。
これは、神学生がおまじないの一種で、
床に白い円を描いて身の安全を確保するのだが、
なぜだか、円の中は外からは見えない設定らしい。
外から見れば目に見えない円柱の外周があり
妖怪たちの侵入を邪魔しているのだ。
その外周をめぐり、ナタリア・バーリーのパントマイムシーンが見られる。
この女優は、サーカスの経験もあるらしく、
通りで、アクロバティックなシーンもスタントマンなしに
揚々とした身のこなしで演じているのもうなずけるというものだ。
怖い老婆と綺麗な美女の取り合わせ、
どこか人間臭くも精一杯恐怖を体現する妖怪たち、
あるいは絢爛豪華な美術的装飾など、
マニアを震え上がらせる、というよりは
ニヤニヤ、ハラハラしながら、何度でも見たくなるカルトムービーホラー
それが『妖婆 死棺の呪い』の最大の魅力である。

ときはいみじくも、アメリカンニューシネマ台頭期にあたり、
これがロシアの地で制作された意味は極めて大きい。
そのようなことを映画批評家山田宏一がどこかで書いていた。
つまりは、腐敗する政治、権威に対して
そこには政治的背景を民話に託して描き出したある種の抵抗映画、
という見方もあるかもしれない。

ちなみに妖怪漫画といえば第一人者の水木しげるも
この映画に魅せられた一人だ。
実際『ゲゲゲの鬼太郎』でこの映画に似たシーンを見た記憶がある。
「モウリョウ」という人間の死体に取り憑く妖怪を登場させているが、
それだったかどうか、そのあたりは定かではないが、
いずれにせよ、『ゲゲゲの鬼太郎』がテレビではじまったのが1968年
いみじくも年代がかぶる。
妖怪とは、人間そのものに隠された、
邪悪なるものの現象化なのかもしれない。
ある意味、妖怪くずれの大人たちが跋扈する世の中、
怖いだの、おっかないだのと騒ぐのは
いつの時代も所詮子供たちだけなのだ。

You Doo Right:The Can

カンの結成が1968年だから、ちょうどこの『妖婆 死棺の呪い』とリアルに時代の空気感を共有していると言える。アルバムタイトルもズバリ『Monster Movie』ということで、見事にリンクする。このまま、カンがサントラを担当していても全然不思議じゃないし、映画の手作り感を見せられると、美術にマックス・エルンストを引っ張ってくれば完璧かもしれない。とはいえ、このアルバムは只事で聞き流せるような柔な代物ではない。「You Doo Right」にして、12時間・2セットにわたったセッションから抜粋した20分強、呪詛的なナンバーで、民族音楽、現代音楽、サイケ、ロック、ブルース、ジャズetc.さまざまな音楽のエッセンスを見事に昇華させた当時は衝撃の曲だっただろう。アルバムに参加したボーカルのマルコム・ムーニーは、実際精神に支障をきたすほどの影響下にあったために、このアルバムの後脱退しているほどである。