男と女の大正エモクラシー
日活ロマンポルノの傑作神代辰巳の『四畳半襖の裏張り』は、
永井荷風による春本『四畳半襖の下張』の映画化ということになっている。
原作では荷風が関わったのはほんの一部で、
あとは自分の作品ではないと主張している。
なにはともあれ「春本」の誉れ高き本であり、
作者「金阜山人」の手記を語り部として、荷風が紹介する形となった本だが、つまるところ、カストリ雑誌(いまでいうならミニコミ誌とでもいうべきか)
というやつだ。
後に月刊誌の編集長だった野坂昭如が、まま雑誌に掲載したところ
裁判沙汰にもなって猥褻文書扱いになった、
そんないわくつきの文芸作品ということになっている。
さても、たかがエロ、されどエロ。。。
というわけで、
くれぐれも猥褻とエロの本質的違いを取り違えてはいけない。
猥褻なんて物騒なものは軽くすっとばさなきゃいけない。
まずは人間ありきのエロ、裸なぞ所詮刺身のツマに過ぎず。
神代辰巳って人はその点、当たり前にしっかりと心得た作家だ。
日活ロマンポルノというくくりで一時代を築いたわけだが、
いまだに多くの映画ファンに支持される所以がそこにある。
そこに生まれた傑作の一本、それが『四畳半襖の裏張り』だ。
たしかに言葉の響きからは淫靡な匂いが立ちこめるが、
わざわざ猥褻さだけを引っ張り出すだなんて、土台ムリってものだ。
やれやれ、そんな野暮につきあってなどいられない。
春本風味を下敷きにしつつも、神代辰巳が
日活ロマンポルノの枠内でうまく撮り上げたこの作品、
そこに男と女の睦み事があっても、それだけじゃない。
観ればわかるが、猥雑とは似て非なる風情、情緒が漂うのだ。
本編は荷風の得意とした「入れ子細工」をとり、
旦那と芸者との“粋な”遊びを中心に
軍人と芸者との哀しき逢瀬、
老練と若い芸者の芸道をめぐるやりとりなどが
1時間強のなかに色とりどり神代節の演出が詰め込まれている。
時は全国で米騒動が頻発する大正中期の山の手の花街、
号外として、シベリア出兵や、朝鮮の独立運動の万歳事件など
当時の事情をさりげなく挟み込んだ風俗譚とはいえ
ときにコミカルなまでに、男と女の哀愁が滲み出す。
まずは日活ロマンポルノを代表する女優、
宮下順子の代表作の1本でもあるだろう。
あのトリュフォーをして
「男のエゴイズムと愚劣さに対して、女の寛容さと美しさを描いた
ジャン・ルノワールのような」作品と言わしめた名作であり、
この形容において、いうまでもなく、宮下順子がそそりたつ。
相手役の江角英明とは、『愛のコリーダ』のロマンポルノ版
『実録阿部定』でみせた肌も呼吸も絶妙のコンビネーションを見せている。
(その江角はどこか荷風の面影を残す俳優として抜擢されたという)
相変わらず、女のいじらしさを演じさせたら
この人に敵う女優などいないな、そううならせるものが確かにある。
風情あるれる人力車で参上するのは
初対面の、根っからの遊び人に呼ばれる芸者。
虫の音聞ゆる蚊帳のなかで、初めての相手をする女の恥じらいをもって、
なんともいじらしく振る舞う術を肢体を通じて知っているのだ。
恥ずかしいだの、明るいのはダメだのなんだのと、
乙女のごとくじたばたしながら汗だくの応戦で掴んだ相手を離さない。
所詮「行き着く先は色地獄」ってんで、これをきっかけに
白昼堂々青姦も辞さぬ女に染まってゆくのである。
男に転がされてゆく女の色香がなんともオツであることよ。
そうやって、最後は置屋の女将さんにちゃっかり収まる次第である。
この映画は冒頭から神代節が全開である。
まずは「男は顔じゃない」の文字が入る。
次に絵沢萌子の老練芸者花枝姐さんが、芹明香の17歳の半玉芸者花丸に、
で、結論「男の顔は、金」という気概を吹き込んで、
「便所に落ちている米粒を食べた芸者は出世した。
便所だから汚いというんじゃ出世できないよ」などと蘊蓄を重ねつつ、
男の取り扱いのいろはをば、手取り足取り教えるのはいいが
わざわざ面倒な男にあたった際のいざというときのためにと、
花丸は股間にゆで卵を挟んで掃除させられたり
下部に力を入れ、チョメチョメの力でもって吹き戻し、
そう、子供騙しのピロピロ笛を吹かせられたりと
なにかと“シゴキ”がエスカレートする始末。
その花枝姐さん自身、袖子に旦那をも奪われやけになって
嘘か誠か、あんたの子が腹にいると旦那にすがるも軽くいなされる始末。
人力車で人力車を猛スピードで追いかけるシーンが面白い。
あげくに茶曳きのなぐさめにと、おぼこい花丸にまで花魁ごっことばかり
手を出してしまうレズシーンの下りまで、
芸者稼業の切なさをとくとくとうたい上げ、
なかなか盛りだくさんな描写のアラカルトをくりだしては、
随所にその悲哀でもって染め抜いている。
そんな花枝の哀愁の元で、ついに耐えかねた花丸は
水揚げ相手を求めて、色地獄に勝った袖子に直談判するも
どもならず、そんなことを露も知らぬ花枝は
能天気に鼻歌混じりのハエトリシーンで幕が降りる。
なんともあっけなく、不躾ながら、
不思議な余韻を漂わせるラストシーンの
体言止めならぬ静止画止が印象的すぎた。
花枝をはじめ、芸達者を囲む脇役陣も素晴らしい。
男が女の官能を知るためには首を絞められてみろと、パトロンから言われて
しょうがなしに命懸けで首を吊る真似事をみせる山谷初男のぴん助師匠。
お座敷芸では、ストリップに始まり
山積みの小銭を下腹部で吸い上げる通称“花電車”シーンなど
なにかと笑いを誘いながら、
脇役たちの哀愁の手練手管にまんまとはめられてしまう。
粟津號の兵隊と丘奈保美の幼なじみの芸者夕子との
“30秒勝負”など最たる物で、
これぞ神代の描く哀愁の極みとばかり、
さりげなく入れてくるのがこれまた憎い。
男は規律の厳しい兵舎にもどらなくてはならず、
下手をすればこれで一生あえなくなるかもしれないという、
切羽詰まった状況下でお慰みに遭うのが精一杯。
そこに添田唖然坊の作った「ラッパ節」が切なく響く。
今なる時計は八時半
あれに遅れりゃ重営倉
今度の休みがないじゃなし
離せ軍刀に錆がつく トコトットット
そんでもって、男のシベリア行きがいざ決まると
女は下の毛をお守り代わりに1本抜いて紙に包んで渡しながら、涙に咽ぶ。
そんな男と女の悲哀を上目に、下でも男と女が犬のようにちちくりあう。
まさに生と性、人間の業を、コミカルながらも情動をも外すことなく
実にバランスよく対照的に描き出されている傑作だ。
これぞ見事な大正エモクラシー。
男と女、なんともいえぬ情感が憎らしい。
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