スコーピ女の怨みハラスメント
恨み妬み嫉み・・・きゃー怖い。
とりわけ女の恨みはえげつない。
恨んだところで、幸せを何一つ生み出しはしないのに
恨まずにはいられないのだ。
日常、この暗黒の想念だけは避けて通りたい。
無論、とり憑かれたくもない。
が、聖人君子とは程遠い我が身にとって
それを撥ね退けるというのは酷というものだ。
が、人間は日々成長する。
そうだ、そんな汚泥の沼に喘ぐ人生はサヨウナラさ・・・
そうした負のオーラをどうにかこうにかくぐり抜けて
麗しの極楽浄土を目指してゆこう!
ま、落ち着こう。
一歩引いてみれば、
逆巻く負の情念にかように命を燃やすものなら五万といる。
それがこの世のお決まりだ。
いやはや、ご愁傷様、と言いたいところだが、
そんな修羅場ゆえに劇画になり、スクリーンで展開されると
この上なく、心を鷲掴みされるのだから、
やはり、人間とは感情の生き物としての監獄を抜けられないものなのだろう。
そうした本能のせめぎ合いこそが面白いのかもしれない、というところか。
親の仇を晴らさんがためだけに生まれた娘が、
その因果ゆえ、結局、仇の娘に逆仇打ちを食らって
無情の紅に染まりながら雪の上に伏す『修羅雪姫』。
あるいは、不機嫌なのかクールなのか、
ズベ公やらしゃあ貫禄の姉御っぷりで
カルトな人気を誇った『野良猫ロック』シリーズ。
そして、地獄の果ての禁断の女囚の園に咲く徒花は
究極のサディズムか、時には究極のマゾヒズムか、
裏切られた恨みへの復讐の炎を滾らせて、
サソリの毒牙であらゆる権力を切り刻んでゆく『女囚さそり』シリーズ。
どれもが実に凄まじい、情念が逆巻く女の生き様を晒した女優として、
梶芽衣子の名を世に知らしめた映画はこの胸に今なおしっかり刻まれている。
そんな骨の髄まで染み渡った恨み辛みの情念で
あのタランティーノまでを魅了してやまない女、
それが梶芽衣子という女優なのだ。
今回取り上げるのは『女囚さそり』シリーズ。
原作は篠原とおるの漫画からの映画化である。
『女囚701号/さそり』に始まって
『女囚さそり 第41雑居房』『女囚さそり けもの部屋』までが伊藤俊也
最後は長谷部安春がメガフォンをとった『女囚さそり 701号怨み節』まで。
なにぶん、このシリーズは手を替え品を替え
後続のシリーズが続々と制作されてはいるが、
何と言っても梶芽衣子主演のこれら4作が秀逸だし、
ここではそこにしかスポットを当てるつもりはない。
全く別物なのは言うまでもない。
さて、これは実に壮絶な女の世界である。
しかも女囚とくる。
設定が多少前時代的なのはご愛嬌。
実に血なまぐさい女臭が半端なく漂うが、
可憐だの可愛いだのそんな甘っちょろい少女趣味は微塵もない。
あくまでも男顔負けのどす黒い情念と権力志向で爛々としている。
それにしても、まるで漫画のような世界である。
ありえないような世界の連続である。
B級にもほどがある。
だが、これが映画なのだ。
そんなB級っぷりで最後まで一気に突き抜けてしまうのだから
いやはや、「さそり」シリーズは今も見ても面白い。
何と言っても、梶芽衣子演じる松島ナミの魅力に尽きるだろう。
とにかく、セリフはミニマムに押さえ込まれ、
その分、恨みのたまったいびつで鋭い視線が相手を射抜く。
その餌食になるバカな女、バカな男たちの狂乱ぶりは
エスカレートするばかり。
それでも、彼女の体当たりぶりの方がさらに凄まじい。
文字通り、身体を張った演技で、B級風味もなんのその。
肌を晒すも厭わない真剣味が臨場感を増す。
下着姿、露わな上半身をさらけ出してまで刃物を振り回すのだ。
拷問、リンチからレイプ、レズシーンに至るまで
これでもか、これでもかとヒロインさそりを痛めつけるが
その反動で、どんどん凶暴性をましてゆくのがこのヒロインの恐ろしさだ。
しかし、顔を顰めて歯を食いしばりながらも
終始どこかクールで、スタイリッシュなオーラで
尋常ならざる女囚をスリリングに演じきっている。
梶芽衣子恐るべし。
カルトな人気を誇るのもうなづけよう。
シリーズ第一弾『女囚701号さそり』では、
彼女の怨みの馴れ初めから、復讐劇までが怒涛のように展開されるが、
脱獄後に一転颯爽とした出で立ちで、
復讐劇に転じるあの姿、ファッション性を含めて
このシリーズを通じてのカルトなイコン性を代表している。
おそらく、一着一着が手染めのオーダーメイドなんじゃないかと思うが
青纏と呼ばれる監獄ルックも秀逸だ。
ちなみに一般の囚人に対し、体制側という縮図で
息の掛かった班長たちは赤纏を着込み対立のコントラストを演じている。
結局のところ、このシリーズは
男に騙された悲しい女のサガによる復讐劇ではあるが、
全体を見渡せば、男と女の性的バイオレンスと言っていいような
あからさまなグロとエロスが氾濫している。
今ではこんな作風は作られようがないほど
自由でアナーキーだ。
その辺りは、東映側の興行としての狙いが顕著に見え隠れしている。
いわゆるお色気裸シーンがのどかに満載で
周期的に、欲望が顕然化されてゆく。
水責めだったり、視姦だったり、言葉の暴力であったり
それこそ男たちの露骨な男根主義が堂々はびこるが、
その男に飢えた女たちの欲情もこれまた凄まじい。
『女囚さそり 第41雑居房』では
女囚が歌う「ちんちん音頭」にはおもわずにやけてしまうし、
さそりを手に落とそうとして送り込まれる女看守が
そのままさそりの愛撫によって色情にもだえてしまったりと
愛欲が暴力と重なって、本作の推進力にまで昇華されているのも見所だ。
一作目より、さらに過激になった『女囚さそり 第41雑居房』では、
女囚の前で強姦リンチを強要された看守が
さそりの復讐を受けて、股間に杭を打ち込まれ憤死するシーンがあるが、
実に容赦なく、エログロシーンがギャグの様に挿入される。
ちなみに、このシリーズはこの第二作まで、
所長である渡辺文雄演じる所長の郷田との対立が基本路線だが
さそりの恐ろしさに腰を抜かして失禁してしまう法務省の巡閲官に戸浦六宏、
また股間に杭を打ち込まれ憤死する看守には小松方正と言った大島組が
それぞれ権力側で個性の限りを発揮している。
それぞれに悪意を感じるほどの熱演だ。
また、女囚では狂気女優の異名をとった白石加代子の鬼畜っぷりが
噂にたがわず凄まじい。
このリーダー格主導で、脱獄を図る本作は
この狂気によって支配されていると言っても過言ではない。
個人的にはこれら強烈なインパクトを植え付けられる
この『女囚さそり 第41雑居房』を推したいが、
監房を出て、シャバで繰り広げられる『女囚さそり けもの部屋』や
『女囚さそり 701号怨み節』にも捨てがたい魅力が満載だ。
だから、あえて四本まとめてこのサソリシリーズをひとくくりに
梶芽衣子頌として讃えたい。
兎にも角にも、梶芽衣子の魅力に
どっぷりはまってしまうことは請け合いである。
今では全てが御法度の倫理モラルを振り切った
70年代の自由さを謳歌した空気感に色濃く支配された
恐ろしいまでの情念をエンターテイメント化したシリーズとして
改めて陽の目が浴びるのを期待しよう。
花よ綺麗と おだてられ
梶芽衣子『恨み節』より
咲いてみせればすぐ散らされる
馬鹿なバカな馬鹿な女の怨み節
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