下ネタならぬシモネッタ礼讚、名画の中のエロスと運動力学
仕事柄、アドビの定番ソフトイラストレーターに
長年世話になっていることもあって
サンドロ・ボッティチェッリの『ビーナスの誕生』への思いは強く
親しみある存在として無意識にすりこまれている。
ただ、この絵に関してさほど深く考えたこともなく
ただ漠然と過ごして来たのも事実である。
ところがちょうど、ソフトのイラストレーターから
表立ってあのビーナスが姿を消してしまっていると
ざわめき立って以来、
何十年も過ぎているというのに
そんなことも考えることもないまま
ただ時間が過ぎていたのである。
あるとき、この絵そのものを再び見直す機会が訪れて
今まで考えもしなかった思いが唐突に去来し始めた。
それは絵の中にある動きである。
海の泡から生まれいずった
中心に構える愛の女神ヴィーナスは不動である。
クドニスの彫刻などで知られるように、
ヴェヌス・プディカという古代彫刻にしばし現れる
ポーズをとって、微動だにしない。
が、両サイドからの流動的なエネルギーの気配を
ひしひしと感じ取るのだ。
このバランス感に心踊らされてしまう。
西風の神ゼフィロスは春風の息吹きで
貝殻の上にそびえ立つ女神像を海岸へと押し上げ、
時と時節を司る女神ホーラは、
衣装を持って、ビーナスを包み込まんとしている。
周りでは花が舞い、波が押し寄せている。
この静と動の緊張が、この一枚の絵画を
比類なき美に高めているのだということに
今更ながらに気づいたのである。
知識としてでなく、情動によって
ようやく一枚の古典的名画鑑賞に触れることができたのだ。
そんな瑞々しい緊張に支配された絵解きに
遅まきながら、美の化身たるビーナスの誕生という叙情の前に
敏感に感じ入りながらうっとり眺めていると
不思議に心潤う思いがするのは不思議な感覚である。
それにしても、このヴィーナスは
美しいのだけれど、なんとなくバランスが変である。
絶世の美女という割に
物憂げでぎこちない美を醸しているところに
僕のようなひねくれ者が食い入る隙が生まれてくる。
この女神のモデルはメディチ家ゆかりの美女
シモネッタ・ヴェスプッチで、
いみじくもジュリアーノ・デ・メディチの愛人だった
と言われている女性だ。
フィレンツェ一の美女と誉れ高きこの女性を
描きたいばかりに
このルネッサンス隆盛期、多くの画家たちが集まってきたという。
その中の一人がボッティチェッリで
その興奮がこの絵の中に凝縮されていると言える。
まさに女神礼讚である。
が、シモネッタはその一年後に肺結核で亡くなり
完成させるのに、約九年の年月を要したわけだから
この一枚の絵に潜む物語の重みがいかなるものか
想像に難くない。
ちなみにピエロ・ディ・コジモ作の『シモネッタ・ヴェスプッチの肖像』では、
首に蛇などが巻かれていて、
ボッティチェッリ作よりも幻想的、
というか、どこか妖しい陰のようなものを感じて
好みの観点ではそちらの方に軍配をあげたいのではあるが
この『ビーナスの誕生』という一枚の壮大なドラマ、
この知的好奇心の探求の先にある
絵の持つダイナミズム、瑞々しさに敬意を払って
今回はこちらをメインで取り上げてみた次第。
コメントを残す