諏訪敦彦『風の電話』をめぐって
透明さを通じて不透明さを知る。いまこそ風の言葉に優しい眼差しを 今年もまたあの忌まわしい瞬間がやってきてそして風のように過ぎ去っていった。今から10年前、3月11日午後14時46分の記憶。この覚えのない痛みを、どこからと...
透明さを通じて不透明さを知る。いまこそ風の言葉に優しい眼差しを 今年もまたあの忌まわしい瞬間がやってきてそして風のように過ぎ去っていった。今から10年前、3月11日午後14時46分の記憶。この覚えのない痛みを、どこからと...
そうした緊張感を絶えず観る側にさえ強いるほど、 ある意味固有で雄弁なる映画である。 が、以前には見られなかったファンタジックで、 より意識的なフィクション空間がそこにあり、 子供というファクターを通じて 新しい物語に行き着いた監督自身の境地が 垣間見れるような気がした。
映画というものに潜む虚構性への挑戦。 演技のドキュメント、映画作りのドキュメントといったテーマに立ち向かい、 結局のところ、映画とは何なのか? リアルとは何を意味するのか? 真実とは? 嘘とは? という本質的テーマに立ち返ることになるだけである。