神代辰巳

恋人たちは濡れた 1972 神代辰巳映画・俳優

神代辰巳『恋人たちは濡れた』をめぐって

ポルノだと思って見る人、みようとする人には 全くもって退屈極まりないに映画に違いない。 何も起きやしない。 いや、虚無のようなものが、無防備に突きつけられる。 それもそのはずで、70年代の空気を溶かし込んだ わけのわからない焦燥感に突き動かされる主人公たちの吐息が 官能よりも抒情的に網膜を突き抜ける。 そうしたフィルムのざらつきが今でも色褪せず この網膜越しに感じ取れるからだ。

白い指の戯れ 1972 村川透映画・俳優

村川透『白い指の戯れ』をめぐって

こうしてみると『白い指の戯れ』での荒木一郎が、不思議と 『勝手にしやがれ』のジャン=ポール・ベルモンドや 『俺たちに明日はない』ウォーレン・ベイティあたりの ちょいワル感がかい間見えてくるのだ。 普通に、ちょっと背を伸ばせば届くような加減がいい。 それにハマってゆく伊佐山ひろ子との絡みもバッチリだ。

赫い髪の女 1979 神代辰巳映画・俳優

神代辰巳『赫い髪の女』をめぐって 

これがあの神代辰巳の世界であり、 たまたま日活ロマンポルノというだけのことで、 仮にポルノという称号のみで遠ざけられているとしたら それはあまりに哀しい現実だ。 切なすぎるではないか。 映画という名の情熱。 男と女の情熱。 かつてそれら思いを互いに求めあった結晶の産物。 映画好きなら見て損はない、赫の他人の睦みあい。 うーん、豊かな時代があったものだ。

赤線玉の井 ぬけられます 1974 神代辰巳映画・俳優

神代辰巳『赤線玉の井 ぬけられます 』をめぐって

そんな女たちの生き様が哀しくも、たくましく 滲み出る生活臭ととも描き出される話だ。 途中に挿入される字幕。 そして監修にも名を連ねる滝田ゆうのイラストが これまた絶品なまでの風合いを帯び、郷愁を誘う。 これで、ラストがまた、たまらなく切ない。 「夜霧のブルース」を聞いていると 思わず彼女たちを抱きしめてやりたくなる。 記録に手を貸してやりたい気さえしてくる。 そう、そんな赤線なら、 ついふらっと通いたくなってくる自分がいるのだ。