成瀬己喜男『晩菊』をめぐって
成瀬といえば『浮雲』が代表作にして最高傑作との評価はあるが 掘ってみれば、なかなか良作が他にも目白押しの監督で、 個人個人の好き嫌いをためらわずにいえば この『晩菊』なんかもあの『浮雲』に 負けじ劣らぬ傑作然としているのがわかる。
成瀬といえば『浮雲』が代表作にして最高傑作との評価はあるが 掘ってみれば、なかなか良作が他にも目白押しの監督で、 個人個人の好き嫌いをためらわずにいえば この『晩菊』なんかもあの『浮雲』に 負けじ劣らぬ傑作然としているのがわかる。
他人の不幸は蜜の味 私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。 『放浪記』林芙美子 それまで幻想文学や、不条理文学ばかりに傾倒していた自分がリアリズムに根差した林芙美子の小説を読むようになったのは映画『放浪記』をみて...
詩は言語でありながら、絶えず魂という肉体をもっている。 意思をもち、世界を変えることさえできる。 それは映像のなかにも、音楽のなかにも入り込んでいる。 むろん、生活、人生、人間のなかにある。 文学者や作家はもとより、真の詩人たちは言葉でそのことを伝えてきた。 そうした言葉の力に今一度、寄り添ってみたいと思うのだ。 僕の好きな文学者たちは、多かれ少なかれポエジーに貫かれた 地上の星たちなのだ。
不倫関係にかぎらず、多かれ少なかれ、 男女関係というものの行く末は こうした一瞬の輝き、一瞬のときめきを求めて たとえ、結果がわかっていても、その甘美さの前には抗えず、 逃れられない人間の業そのものなのかもしれない、と思う。 ただ『浮雲』では、その深い業へのカタルシスが、 刹那にもとめる激しい肉欲でも、 官能を貪ることで満たすことはできないのだ、という、 そんなメッセージのような気配をも同時に読み取りうるのである。 こんな恋愛映画が日本にあったのだ。 そこは、日本人だからこそ、 理解しうるであろう男と女の駆け引きだからこそ、 よりいっそ愛おしいく思うのかもしれない。
東京の実家に舞い戻った原節子を訪ねてくる上原謙と ふとしたきっかけで仲直りをし、 再び大阪へ帰阪する車中のシーンだ。 三千代は初之輔に書いた手紙を結局窓から破り捨てる。 その横で、夫はまた以前のような姿で疲れ惚けて眠っているが、 妻はその時すでに、覚悟を決めて、生活そのものを受け入れるだけである。 不本意ではあるが、それはそれで、女の幸せとは 所詮そんなものだという諦めの境地が、 この大女優のくたびれ顔に 一筋の光を照らすなんとも感慨深いシーンなのである。