昭和に花咲くお茶の間ドラマツルギー(CM編)
その映像に込められたメッセージ性、というものにも どれほど意味があるかはわからないが、 何某かの琴線に触れたことは間違いないし、 その中で、自分が好む人物、音楽、そしてコピーなどが ひとつの一つの映像芸術として、成立していることに 改めて感動を覚えている。
その映像に込められたメッセージ性、というものにも どれほど意味があるかはわからないが、 何某かの琴線に触れたことは間違いないし、 その中で、自分が好む人物、音楽、そしてコピーなどが ひとつの一つの映像芸術として、成立していることに 改めて感動を覚えている。
この宇宙人に子供心に心奪われたのは、 青赤黄、原色のよる魚類っぽいシュールな頭部を持っていたからではない。 その登場になにやら親しみを抱いたからだろう。 なにしろ、四畳半一間のアパートの一室で、 モロボシダンとちゃぶ台を挟んで会話をするシーンが なんともいえぬお茶目な哀愁を漂わせていたからだ。