レメディオス・バロをめぐって
レメディオス・バロ、この蠱惑的な響き・・・ 通常の美術史では、なかなか聴こえてはこないだろう。 この興奮が少数派内でしか共有できないことが残念なのだが、 とりあえず、フィニ、キャリントンときて、 この才女レメディオス・バロをとばすわけにはまりますまい。
レメディオス・バロ、この蠱惑的な響き・・・ 通常の美術史では、なかなか聴こえてはこないだろう。 この興奮が少数派内でしか共有できないことが残念なのだが、 とりあえず、フィニ、キャリントンときて、 この才女レメディオス・バロをとばすわけにはまりますまい。
キャリントンは元々画家で、 恋人以上の存在だったエルンストが 弾圧を受け、強制所送りを余儀無くされるという戦禍の傷によって、 自らも波乱万丈の人生を生きざるをえなくなり そんな精神的ダメージを負うことになるが、 主にはメキシコへ渡ってから、その才能を開花させてゆく。 その産物である絵画作品も、とても素晴らしいのだが、 『美妙な死体の物語』という短編集や この『耳ラッパ』の作家として特別の思い入れがある。
ダリだけではなく、シュルレアリストたちはみな、 多かれ少なかれ、その源泉をミューズたちに求めたという点で共通している。 そんなミューズたちをはじめ、純粋直感に導かれ ときに男たちを翻弄し、凌駕し、また愛や源泉として君臨し、 絶えずインスピレーションを与えつづけた存在に、 スポットライトをあててみようと思う。