架空のサウンドトラック、夢先案内映画音楽特集
架空の映画サウンド・トラックといえば、 ムーンライダースの名盤『CAMERA EGAL STYLO/カメラ=万年筆』が 真っ先に思い浮かぶ。 いかにも映画好きによる、贅沢な趣向が反映されている。 まさにドストライクなラインナップがずらり並んでいる。 そのアルバムを筆頭に、シネフィルたちの夢を載せて、 そのテイストが滲み出る楽曲にスポットライトを当てて、 このコラムの最後を飾ろう。
架空の映画サウンド・トラックといえば、 ムーンライダースの名盤『CAMERA EGAL STYLO/カメラ=万年筆』が 真っ先に思い浮かぶ。 いかにも映画好きによる、贅沢な趣向が反映されている。 まさにドストライクなラインナップがずらり並んでいる。 そのアルバムを筆頭に、シネフィルたちの夢を載せて、 そのテイストが滲み出る楽曲にスポットライトを当てて、 このコラムの最後を飾ろう。
ある日、一人の男が屋根から落ちた。 それは事故か、自殺か、それとも殺人か? 雪に沈んだ身体のまわりで、誰もが真実を求め語り出す。 だが、肝心の真実は沈黙したままだ。 そこに『落下の解剖学』における他者理解の臨界点が見えてくる。 ジュスティーヌ・トリエが描く『落下の解剖学』では、 ひとつの死をめぐる推理劇であると同時に、 理解しえぬ「他者」という迷宮の、果てなき歩行が映し出されてゆく。
『狼の時刻』という映画は これまで日本ではながらく未公開だった作品で、 (いちどテレビで放映されたらしいが) ある意味、ベルイマンらしい代表作の一本に 数えてもいいぐらいの傑作だというのに 不遇に眠っていたのはあまりにもったいない。
寄り添うをとすればするほど交わりはしない不毛な関係だが それでも母と娘であることは避けることのできない現実である。 娘は娘として、母は母として、 互いの空白を埋めることができるのか? ラストシーン、娘は母を許すことができたのか? 何もかも失いつつある現実の前で、 過去を清算して、娘に寄り添えるのか? 観客は各々感性にヒリヒリと問題を突きつけられるのだが、 『秋のソナタ』はそんな生易しいヒューマンドラマではない。 人間の根源、深層にまで及ぶ芸術家ベべルイマンの魂が 隅々にまで昇華された映画である。 スヴェン・ニクヴィストの冷徹なるカメラワークが冴え渡る。
オータムコタム、山から小僧がやってきて・・・ 芸術の秋、食欲の秋。 深まる秋にちなんで、ロピュマガジンは とりあえず、第二弾「秋特集」を打ち出したいと考えまする。 私はこの秋という季節からが本番、 かき入れ時と申しまししょうか、収穫期と申しましょうか。 なんといいますか、いよいよ持って調子が出てまいります。