ジャン・コクトー

恐るべき子供たち 1950 ジャン=ピエール・メルヴィル文学・作家・本

ジャン=ピエール・メルヴィル『恐るべき子供たち』を視る 

コクトーは文学史的にも映画史的にも、 はっきりとした位置づけの難しい作家だった。 本人は、詩人の血の下に、あらゆる創造メディアを駆使しながら、 詩の世界に戯れ、その世界で才能を発揮し、 今のマルチクリエーターの走りとしての認識も高い。 ある意味、属性なき作家として、その名を刻んだ自由の人だった。 『恐るべき子供たち』には、その奔放な男遍歴から毒好み、 そして生涯抱えていた死の観念といった禁断の世界の片鱗が コクトーの美学として随所に貫かれている作品だ。

オデュッセウスの帰還 1968 ジュルジュ・デ・キリコアート・デザイン・写真

『デ・キリコ展(Metaphysical Journey)』のあとに

ジュルジュ・デ・キリコという画家の不思議な世界は その奇妙な遠近感と、唐突なモティーフの登場などから、 いわゆる形而上学的絵画などと言われているが シュルレアリストをはじめとした前衛画家たちの作風の中でも とりわけ異質な情緒を掻き立てる画家だと、長年理解してきた。 伝統と革新が同居するという、なにやら、迷宮に足を踏み入れる怖さも手伝って キリコの絵は、あのマグリットの明らかな挑発的絵画とは趣きがちがう、 みるものに、沈黙を余儀なくさせるだけの威風を堂々漂わせている。

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.21特集

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.21

そこで、今回は、映画作りにおいて 監督兼俳優、ひとりでとりしきる孤高の映画作家を特集してみようと思う。 ひとよんで二刀流映画術。 むろん、映画など、とうていひとりでできるものではないし、 監督と俳優を兼ねるから、出来のいい映画が出来るわけでもない。 それがウリになるほど甘いものではないのだが、 うまくいけば、すべてその二刀流作家の勲章になり こければ、すべての責任が覆い被さってくる。 まさに自己責任である。