ジャック・タチ「トラフィック」をめぐって
内容からすれば、おしゃれなコメディータッチのロードムービー風 とでも言えるのかもしれないけどね。 やっぱし、これは日本的ではない なんてーのか、インテリジェンス、ウイット、ユーモア ジャンルの型にはめようとすると限界があるんだけど ぼくはそれを「ユロビートムービー」と名付けよう。 オフビートタッチのロードムービー、うん、ま、そんなところ。
内容からすれば、おしゃれなコメディータッチのロードムービー風 とでも言えるのかもしれないけどね。 やっぱし、これは日本的ではない なんてーのか、インテリジェンス、ウイット、ユーモア ジャンルの型にはめようとすると限界があるんだけど ぼくはそれを「ユロビートムービー」と名付けよう。 オフビートタッチのロードムービー、うん、ま、そんなところ。
オフビートってものを考えると、ついつい饒舌になり勝ちで それでいて、なんか小難しく考えて悦に入るようなところもあるが 総じて、曖昧かつ懐の深いものであるという魅力を感じている。 その辺りの考察を含めて、あくまで個人的な感想の域を出ないが、 ここでは、オフビートは言葉の遊びのようなものとして捉えて欲しい。 あたかも、音楽を聴くようにしてオフビートを楽しんでみよう、そういうことだ。 オフビート万歳。
そういう世界の愛おしさを、映画として創造したタチの偉大さを この『プレイタイム』は伝えてくる。 映画を見る幸福のあり方に、未来的な視座を持ち込んだ作家。 まさに、それは遊びの時間をともなって、優雅に、そして微笑ましく、 時空を超え、われわれを非日常に連れ出してくれるのだ。
そこで、今回は、映画作りにおいて 監督兼俳優、ひとりでとりしきる孤高の映画作家を特集してみようと思う。 ひとよんで二刀流映画術。 むろん、映画など、とうていひとりでできるものではないし、 監督と俳優を兼ねるから、出来のいい映画が出来るわけでもない。 それがウリになるほど甘いものではないのだが、 うまくいけば、すべてその二刀流作家の勲章になり こければ、すべての責任が覆い被さってくる。 まさに自己責任である。
実際の伯父さんよりも ぼくには身近につながっている“伯父さん”がもう一人いる。 長身でソフトハットにパイプを咥え チェスターコートから蝶ネクタイがのぞかせ 寸たらずのズボンを履いてこうもり傘を手に持って 自転車に乗っている、というのが ジャック・タチの代名詞である 「ぼくの伯父さん」ことユロ氏である。
物質の幸福に、今更何を託せようか? それがひいては宇宙の摂理というもの。 今こそ、人々に求められるものはイマジネーション。 心の中に家を建てよう。 そして、整えよう。 もはやその中でしか、我が魂は生きられぬ。 そんな思いがしている。