稲垣足穂のこと
そういうわけで ぼくはお茶目な人、茶目肌娘が大好きです。 あなたは日本男児、はたまた妖怪か? 飛行機を、天体を、そしてA感覚V感覚 そして少年をこよなく愛した この足穂先生のことを僕は夜空を眺めるたびに思い出すのです。
そういうわけで ぼくはお茶目な人、茶目肌娘が大好きです。 あなたは日本男児、はたまた妖怪か? 飛行機を、天体を、そしてA感覚V感覚 そして少年をこよなく愛した この足穂先生のことを僕は夜空を眺めるたびに思い出すのです。
ベッドで裏返しになって、手足をバタバタさせながら、 自由を奪われし哀れなる個体。 ただ天井を見つめながら、オレは全くどうかしているぜ・・・ と考える巨大な甲虫ザムザに、いつしか同化しちまっている。 しかし、どうもそれが大事件のようには描かれていない、 そこがカフカ的なの
ボクは苦悩するクノーを支持するだろう 一つ前に、ブルトンのことを書いたが、これは事実上、その続編として読んでいただきたい。そこで先日から読み直した『オディール』のことを書こう。これがやっぱり面白い。『オディール』、それは...
街で偶然だれかと知り合ったとして、 もし、なんかの拍子でレーモン・クノーの話になったら、 それだけで、ぼくは吹いてしまいますね。
フランスの詩人、文筆家アンドレ・ブルトンのことを書くというのは、 それこそ実に気を遣う行為に思える。 それはおそらく生前のブルトンという人が実に気難しく、 多くの同胞たちを次々に追放したという シュルレアリスムの法王として権威を振りかざしたというような逸話から ただならぬ人物であったことを刷り込まれているからという 半分冗談のような事実から導かれた妄想だ。
余白にかくかく云々、夢の遍歴は卵形詩人を巡る旅のごときもの 彼女の気絶は永遠の卵形をなしている 「絶対への接吻」より こうしてまがいなりにもブログを書いているということに何か意味はあるのだろうか?日々自問せずにはいられな...
詩は言語でありながら、絶えず魂という肉体をもっている。 意思をもち、世界を変えることさえできる。 それは映像のなかにも、音楽のなかにも入り込んでいる。 むろん、生活、人生、人間のなかにある。 文学者や作家はもとより、真の詩人たちは言葉でそのことを伝えてきた。 そうした言葉の力に今一度、寄り添ってみたいと思うのだ。 僕の好きな文学者たちは、多かれ少なかれポエジーに貫かれた 地上の星たちなのだ。
うたかたのアウトサイダーは、弾ける男根少女たちの夢を見る 自分にはいつもどこか漠然とした孤独感というものがあり、それ自体に苛まれることは、時々あるにせよ、きっと永遠に消えないひとつの傷痕なのかな、と思っている。いうなれば...
筆さばき、精巧さ、あのイキイキとした色や形。 何よりもあの多産な作品群。 そして、時代を超えたイマジネーション若冲ワールド。 何度見てもウットリする。 なにしろ、描くことが大好きで、 短命だった当時の平均寿命からすると、 八十五歳まで生きのびて、 その証を残した、というのも驚きだけど、 好きな絵にしか関心を示さなかった、 根っからの絵描きマニア、というのだから、 これぞ天分という他あるまい。 好きこそものの上手なれ、とはよく言ったもので、 それこそ、家業の青果商にはほとんど関心を示さず弟に譲り、 自らは芸事や酒に溺れることもなく、生涯独身で通したという。
そんな波乱万丈の生涯を送った芦雪だが、 残された絵の腕前には唸らされる。 とりわけ270点にもおよぶ作品を残した 南紀滞在での充実期の、 その代表が「虎図」であり「龍図」である。 中には晩年「山姥」のようなグロテスクな作風もあれば 大の犬好きであったこともあって 「白象黒牛図屏風」の横たわる大きな牛のふところに ちょこんと佇むミニュチュアの子犬をはじめ、 現代でも人気を博すようなかわいい犬の絵も散見している。 そんな芦雪のことを想像すると、必ずも悪い人間だと思えなくなってくるし 憎めずふと愛おしさが募ってくる、そんな不思議な魅力があるのである。