ジャック・タチ「トラフィック」をめぐって
内容からすれば、おしゃれなコメディータッチのロードムービー風 とでも言えるのかもしれないけどね。 やっぱし、これは日本的ではない なんてーのか、インテリジェンス、ウイット、ユーモア ジャンルの型にはめようとすると限界があるんだけど ぼくはそれを「ユロビートムービー」と名付けよう。 オフビートタッチのロードムービー、うん、ま、そんなところ。
内容からすれば、おしゃれなコメディータッチのロードムービー風 とでも言えるのかもしれないけどね。 やっぱし、これは日本的ではない なんてーのか、インテリジェンス、ウイット、ユーモア ジャンルの型にはめようとすると限界があるんだけど ぼくはそれを「ユロビートムービー」と名付けよう。 オフビートタッチのロードムービー、うん、ま、そんなところ。
フランス郊外の老朽団地(アパートメント)に住む住人たちの群像劇。 オムニバス形式ではなく、それぞれ独立した3つの話で構成されているが うまく時間軸が交差して、ひとつの作品として描かれるその空気感は ずばり、失われた人間たちのふれあいとその「温かみ」である。
少ないセリフ、感情を排した演技、そして絶妙な音楽センスの3点セット。 その中で主役を演じるのがカティ・オウティネンだ、 今日まで長年カウリスマキ組のミューズを張っている女優。 はっきり言って、美人でもなきゃ、愛嬌のかけらもない。 言うなれば薄幸の女そのものであり、 少女というには随分籐が立っている女(それでもまだ若い)だが カウリスマキ映画には以降欠かせない女優となる。
何も起きないから退屈ではない。 むしろ何も起きないからこそ、生まれる空気というものがある。 ぼくたちはそんな日常に生きている。 ジム・ジャームッシュの出世作『ストレンジャーザンパラダイス』はまさにそんな魅力に満ちている映画だ。
オフビートってものを考えると、ついつい饒舌になり勝ちで それでいて、なんか小難しく考えて悦に入るようなところもあるが 総じて、曖昧かつ懐の深いものであるという魅力を感じている。 その辺りの考察を含めて、あくまで個人的な感想の域を出ないが、 ここでは、オフビートは言葉の遊びのようなものとして捉えて欲しい。 あたかも、音楽を聴くようにしてオフビートを楽しんでみよう、そういうことだ。 オフビート万歳。
内観する存在物としてのボウイ デヴィッド・ボウイ。あの巨大な星が視界から消えてブラックスターとなりて、はや6年の歳月が流れている、この事実の前に、この頃なんとなく無頓着になりつつある。というのも、あのボウイが今仮に生きて...
あまりにも近く、あまりにも遠いもの。物理的、あるいは精神的な距離とは逆に、強く心が揺さぶられながら、ひたすら勝手に思い入れ強くして入ってゆくものがある。その世界は一個の巨大な惑星というべき威厳に満ちて、こちらに容赦無く無...
心のチャカに背を向け釈迦の背を追う、あの頃我が師シッダールタよ 先日、実家にもどったとき、ふと昔の本棚を眺めていたら、ヘッセの文庫本が目にとびこんできてそれをひょいと手にとってパラパラ眺めてそのままカバンにいれてもどって...
だざい文体 太宰治の「ヴィヨンの妻」という短編が昔っから好きなのですが、その割には、十代のころの曖昧な記憶しか残っておらず、ふと寂しい思いから、もう一度読み返してみたくなり、借りてこうようと図書館へいったのはいいのですが...
他人の不幸は蜜の味 私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。 『放浪記』林芙美子 それまで幻想文学や、不条理文学ばかりに傾倒していた自分がリアリズムに根差した林芙美子の小説を読むようになったのは映画『放浪記』をみて...