映画・俳優

胸騒ぎ 2022 クリスチャン・タフドルップ映画・俳優

クリスチャン・タフドルップ『胸騒ぎ』をめぐって

ヨーロッパ発の異色スリラー『胸騒ぎ(英題:Speak No Evil)』は、 観る者の胸に生理的な不快を残すバッドエンドな 「胸糞映画(一般には今年最も不穏な映画)」として話題をさらった。 ちなみに2024年にはハリウッドで 『スピーク・ノー・イーブル 異常な家族』としてリメイクされている。 日本語のタイトル「胸騒ぎ」を見て、 上手くつけたものだと感心したものだが とはいえ、誰かに勧めたくなるようなたぐいの映画でもないし、 かといって、みるに値しないと唾棄すべき作品だというものでもない。 この映画から、人は何を感じ、何を学習すべきか、 そんな視点をもって、この不快さにおぼれない程度の良識をもって ここはひとつ思慮深く受け止めてみるとしよう。

「碁盤斬り」2024 白石和彌映画・俳優

白石和彌『碁盤斬り』をめぐって

その一方で、この白石和彌監督の『碁盤斬り』は、 江戸情緒を漂わせ、武士道たる死の美学をちらつかせながら、 硬質で静謐な映像に、怒りにも似た倫理的な問いながらに、 異色の時代劇へと押し上げることに成功している。 主演元SMAPの草彅剛が、ここでは脱アイドルの完了形として、 演技における沈黙と間の巧みさ、 言葉を選ぶように語る誠実な声によって、 「語り」の本質を体現しているかのようにみえる。 そこは、ただの演技巧者というより、 どこか“語り部”のような存在として、浪人を体現している。 それは、語られざる誇りと、語りえぬ悔しさ両方を滲ませ臨む 男の美学、すなわち武士の覚悟そのものである。 碁盤という網の目に移し、静かに白黒をつけんとする姿勢は 最後、格之進が振り下ろした刀の結末として だからこそ、いっそう清々しさを禁じ得なかったのである。

花腐し 2023 荒井晴彦映画・俳優

荒井晴彦『花腐し』をめぐって

『花腐し』と書いて(はなくたし)と読む。 『赫い髪の女』や『嗚呼!おんなたち猥歌』など 神代辰巳の映画脚本で知られる荒井晴彦の監督作品である。 その意味はというと、 せっかくきれいに咲いた卯木の花をも腐らせてしまうという、 じっとりと降りしきる長雨のことなのだそうだ。 なかなか風情漂うタイトルである。 劇中にも雨のシーンが度々あって、 そのシーンがなんとも良いのだ。

ジュスティーヌ・トリエ『落下の解剖学』映画・俳優

ジュスティーヌ・トリエ『落下の解剖学』をめぐって

ある日、一人の男が屋根から落ちた。 それは事故か、自殺か、それとも殺人か? 雪に沈んだ身体のまわりで、誰もが真実を求め語り出す。 だが、肝心の真実は沈黙したままだ。 そこに『落下の解剖学』における他者理解の臨界点が見えてくる。 ジュスティーヌ・トリエが描く『落下の解剖学』では、 ひとつの死をめぐる推理劇であると同時に、 理解しえぬ「他者」という迷宮の、果てなき歩行が映し出されてゆく。

ポライト・ソサエティ 2024 ニダ・マンズール映画・俳優

ニダ・マンズール『ポライト・ソサエティ』をめぐって

ロンドン郊外。 静かな住宅街の一角、パキスタン系ムスリムの家庭に育った少女リアは、 今日もひたすら回し蹴りを練習しているカンフー女子校生である。 座右の銘は「怒りの権化」、目指すはスタントウーマン。 まさに彼女はサードカルチャーキッズ、 つまりは多様な文化、第三文化で育った子供なのだ。 そんな将来の夢を熱く語る彼女の傍らでは、 美しく聡明な姉レナが、それまでのアート志向を捨て 突如として“良縁”とやらに捕まり、ウェディングドレスの試着中。 しかし、相手の実家がなんだか怪しい。 金持ち、イケメン、遺伝学者、しかしマザコンとくる。

波紋 2023 荻上直子映画・俳優

荻上直子『波紋』をめぐって

水というのは、不思議な物質だな、と思う。 透明で、無色で、流れて、1滴でも大量でも中身は変わらない。 だが時に人や街さえ飲み込む力がある。 それは集合化した水のもつ脅威というよりも 日常の奥深くに宿るひとつの魔力なのかもしれない。 一見、静かにそのブルーを基調にしたトーンの室内、 あるいは衣装、水を通して淡々と繰り広げられる家族の群像劇、 荻上直子による『波紋』を観終わったあと、 なぜだか水についてぼんやり考えてしまうのだ。 ああ、こんなにも何気ない水が、 情熱を帯び、人の生活を揺さぶるものだったのか、と。

あんのこと 2024 入江悠映画・俳優

入江悠『あんのこと』をめぐって

入江悠の映画『あんのこと』を観たとき、 街を彷徨う一人の女の子の後ろ姿に言い知れぬ孤独を感じた。 シャブ、売春、不登校、彼女の闇はことのほか深い。 ぼくはその“誰か”の視点でこの映画を受け止めたいと思った。 それはヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』のような、 誰にも知られず、触れられず、完全な他者として ただ見つめることしかできない天使の視座として、 あんという女の子を見届けようと思った。 でも結局、ぼくらは何もできないということを知るだけである。 この世界では、それは絶望という言葉に置き換えられる

コット、はじまりの夏 2023 コルム・バレード映画・俳優

コルム・バレード『コット、はじまりの夏』をめぐって

静寂のなかにも声がある。 聞こえないのは、ただ小さすぎて、 日常の喧騒にかき消されているだけなのかもしれない。 耳をすませば音は確かに聞こえてくるのだが、 同時に、心で読みとるものでもあるということ。 コルム・バレード監督の長編デビュー作『コット、はじまりの夏』は、 語られざる声を、風が草原を渡るようにそっとすくい上げる。 そんな瞬間が心を打つ映画だ。 文字通り、静かな少女の詩情と視線を紡ぐ物語でありながらも これぞ、大人の映画作りが展開されてゆく。

パリタクシー 2022 クリスチャン・カリオン映画・俳優

クリスチャン・カリオン『パリタクシー』をめぐって

原題は『Une belle course』、つまりは「美しい、道のり」であり、 英語版は「Madeleines Paris(マドレーヌのパリ)」。 いずれにせよ、タクシーという乗り物を通して描かれるドラマ。 たかがタクシー、されどタクシー。 人生、なにがどこに物語が転がっているかわからないという映画作り。 終始、ことばに温もりと痛み、そして哀しみが漂う。 そんななか、心軽やかに身体を運ばれし幸福の数時間。 シャルルに、マドレーヌに、そして映画にメルシィボク。

瞳をとじて 2023 ヴィクトル・エリセ映画・俳優

ヴィクトル・エリセ『瞳をとじて』をめぐって

だれでも忘れられない映画というものがある。 ぼくにとって、ヴィクトル・エリセの『ミツバチのささやき』は そんな記憶に生き続ける一作品である。 スペインの映画作家ヴィクトル・エリセにとって、デビュー作であり 以後、約10年のスパンでポツポツと作品を撮りながら、 ここ約30年の歳月の沈黙を経て、完成させた『瞳をとじて』 満を持して、この寡黙な作家がようやくスクリーンに帰ってきてくれた。 今年83歳を迎えるエリセにして、長編4作目。