ハレンチレンジの幅広さを見よ
古くは任侠道にはじまり、ときにはフィルム・ノワール、
シュールからゲテモノまで、玉石混交の闇市のような日本映画史。
そのなかから「さて、今日はどれにしようか」と考えるのが
いわば映画狂のサガというものだ。
面白い掘り出し物を探すなら、東映。そして石井輝男。
概ね相場は、そこに落ち着く。
さらに「東映性愛路線」と聞けば、
まあ、だいたいの匂いは想像の域を出まい。
だが中身は、蓋を開けるまでわからない。
そこがびっくり箱的な面白さである。
そしてこの『異常性愛記録 ハレンチ』
これこそは、その想像をはるかに下回り、
同時に、底なしに突き抜けてくる一本である。
これほどまでに生理的な嫌悪感を伴う映画には、
そうそう出会えるものではない。
現代では、まず扱いきれないテーマと描写。
それを、よくもまあ、こんなにも真顔で撮ったものだと、
呆然とするほかない。
まさしく「怪作」である。
正直、語るにも躊躇したくなる中身だが、
それでも書くに困らないネタの宝庫であるこの映画が放つ異常さが、
ホラー映画にありがちな虚構の恐怖とはまるで違う匂いで誘ってくる。
血も怪物もいらない。
日常に沈殿した悪意そのものが、
じわじわとこちらの神経を侵してくるのだ。
スマートに言えば、高橋伴明のB級カルトホラー『DOOR』以上に最低で、
イーストウッドの『恐怖のメロディ』ほどにシリアスでも大がかりでもなく、
またベルトルッチ『ラストタンゴ・イン・パリ』の
あのマーロン・ブランドのようなワイルドで魅力的な変態性もない。
言ってしまえば、元祖・B級ストーカー偏執映画である。
幼稚で、執拗で、ひたすら気持ちが悪い変態男につきまとわれるだけの話。
それ以上でも以下でもない。
だが、この単純な構図を、忘れがたい悪夢にまで引き上げている要因がある。
それが、深畑という男を演じた若杉英二の存在だ。
「愛してるんだよ〜ん」
「し・あ・わ・せ」
この軽薄で、空虚で、どこにも感情の着地点を持たない台詞が、
後味の悪さとなって頭にこびりつく。
ここで重要なのは、若杉英二の演じる変態性が、
“怪しさ”の領域を一切超えない点だ。
同じ石井輝男映画でも、
『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』における土方巽とは全然違う。
彼は舞踏家であり、身体そのものが象徴へと変質し、
もはや人間を超えた「異形」へと至っている。
そこには悪意があるわけではなく、あるのは畏怖だけだ。
しかし若杉英二は、超えない。
象徴にもならないし、抽象化もされない。
彼の変態性は、社会の底で、湿ったまま腐り続ける悪意そのものである。
だからこそ、恐ろしく、そして、逃げ場がない。
この映画には、石井輝男の「見せることをやめないサディズム」と、
観客の「それでも見てしまうマゾヒズム」が、奇妙な均衡で同居している。
カメラには容赦というものがない。
鼻の穴、喉ちんこ、無意味なまでのアップ。
ゲイたちの顔見せ、、視覚的サディズムの氾濫。
一方で観客は、「気持ち悪い」と思いながら、
席を立たず、最後まで見てしまう。
いったい誰が加害者で、誰が被害者なのか。
その境界は、途中で崩壊する。
物語として丁寧に追う価値は、正直言ってない。
幼稚なストーカー男が、ひたすら女につきまとう。
それだけだ。
それでも最後まで見てしまうのは、
ノン子を演じる橘ますみが、あまりにも気の毒だからだ。
石井作品の常連女優、東映性愛路線のミューズとまで称された彼女。
だが、このノン子という人物像も、よく見れば、どこか壊れている。
自ら不幸を引き寄せる体質。
水商売という因果な世界。
打算があったにせよ、なぜこんな男を寄せ付けてしまうのか。
だが、そんな疑問すら、若杉英二の異様なまでの変態エネルギーが、
すべてねじ伏せてしまう。
凄まじい破壊力をみせつけるのだ。
ラスト、ノン子は本命の男、吉田輝雄に守られながら、
深畑に向かって心から叫ぶ。
「ハレンチ!……ハレンチよっ!」
だが、これでは言葉が軽すぎる。
深畑の行為は、もはやハレンチなどという生ぬるいレベルではない。
常軌を逸脱した異常行為、今の言葉で言えば、
サイコパスそのものである。
そして、その男を待ち受ける天罰。
落雷、丸焦げ。
雨に打たれる若杉英二の姿は、ドリフ顔負けのブラックコメディだ。
たしかに笑える。
しかし、同時に、こんな役を与えられた俳優本人への同情も、ふと湧いてしまう。
だが、そんな同情すら許さないのが、この映画の冷酷さなのだ。
結局のところ、この映画が成立してしまったのは、
若杉英二が「ただ、説明されない人間」を、
最後まで引き受けてしまったからに他ならない。
怪物にならず、象徴にもならず、
ただ、そこに居続ける悪意としての執拗さをみせつける。
その結果、石井輝男の名はまたひとつ、カルトの領域で輝くことになるのだ。
ある意味、石井輝男という映画監督は
俳優から不気味さや怪しさ、悍ましさ、ありとあらゆる負の要素を
容赦なく吸いあげてみせるバンパイアなのだろう。
いうまでもなく、俳優あっての映画。
その意味では、これほど残酷で、
これほど忘れがたい俳優冥利につきる一本もないのかもしれない。
できることなら、当人の言葉を、一度でいいから聞いてみたいものだ。
それこそ、怖いもの聴きたさゆえ、
なんとも悪趣な映画である。
應蘭芳 – 痛い痛い痛いのよ
痛い映画には痛い歌をあてがおう。それが筋というものだ。ということで、應蘭芳(応蘭芳)が歌う「痛い痛い痛いのよ」なんていう歌をわざわざ引っ張り出してきた。こちらも、負けてはいない。昭和アングラ歌謡の奥底から、ひょっこりこちらを覗き返してくるような可笑しくて、怖くて、どこか切実な一曲に聞こえるはずだ。同時代のアングラ文化、つまりは小劇場、見世物小屋、ストリップ、実験映画――そうした場所で交わされていた生身の声の延長線にあります世界がここにある。それゆえに、いったんつかまってしまうと、なかなか抜けられない。そこで、『異常性愛記録 ハレンチ』の橘ますみ演じるノン子の気持ちが、少しだけ、わかる気がしてしまうのである。
父親が英国籍の中国人だったため、イギリス・ロンドン生まれということになっているが、実質は、満州国籍をもつ女優であった。應蘭芳は、『マグマ大使』という特撮ヒーローもので、マグマ大使の妻モル役でも知られている。マグマ大使は子供の頃、テレビでよく見ていた記憶があるが、應蘭芳については、まず関心がなかったし、当然、彼女の歌も当時はまったく知らなかった。ある意味、石井輝男のカルト映画を知るにつれて、こうした異端の昭和歌謡も耳にし始めた口である。彼女の歌を聞けばわかるが、際どいウィスパーソングを歌っているのだが、当然、仕掛け人がいたのだろう。「痛い痛い痛いのよ」にしても、その前の「渚の歓喜」と併せて立派に“放送禁止歌曲”という評価が下されている。そんな彼女は「失神女優の異名をとり、『11PM』でホステス役を務め、そのあと、元祖お色気ドラマ「プレイガール」で、初代メンバーとして出演しているぐらいだからいわゆるお色気路線にいた女優だったのは間違いない。とにかく、運動神経が抜群で、スカイダイビングやスクーバダイビングの免許も取得しており、“アクション女優”の先駆けであり、同時に、司会や講演で知的な面も持ち合わせ、マルチな才能をもっていた。












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