今や伝統的なお正月風景は姿を消し
殺風景で、名目だけのお正月だけなのかもしれない。
果たして、それがいいのか、悪いのかわからないけど、
子供の頃は、それこそ、絶対的父権の下で、
正月とはかくなるもぞ、なんていう
一般的ではあったけれど、
いたって封建的な家庭で育ったものだったから
それなりに儀式めいたものはあった気がするな。
お雑煮を食べ、お屠蘇をいただき、おせちをつまむ。
お年玉をもらい、家族でゲームなどに興じ
外では凧揚げをする・・・
それこそ、疑問すら感じいる隙はなかった。
でも、成長するにつれ
自我が確立されるとともに
自分は自分の考えの中に没頭し、
好き勝手にやってこれたのは幸せなことだった。
こうじゃなくちゃいけない、なんてことはないんだと
開き直って、それが板についたのも随分時を要したな。
といって、別段反社会的なことや、
世の迷惑ごとになど触れたわけでもない。
そうして、今があるってわけだから。
要するに基準が内にあるか、外にあるか。
今、関心ごとは全てそこからしか、何も生まれなくなっている。
だからこそ、世間や既成概念、風潮などに左右されずに
なんとか生き延びる術を個々に見つけ出すのが
人生の目的、そして快楽なのだとあらてめて思うのだ。
もはや、何事も他人任せとは行きますまい。
音楽もまたそうじゃないかな。
ある人には心を弾ませるものであっても
ある人にとっては単なる雑音、戯言であり、
美しい旋律は、そこかしこにある風景のように見過ごされてしまう。
そんなもの、かもしれない。
だから、あらてめてここに基準をしっかりもっておきたい。
いや、そんな大げさなものでなくていいんだよ。
いい音楽を、ただいいと思える感性は重要だ。
それにはまず心を開放すること。
先入観を持たないこと。
それらは物質的欲望とは関係がないところで成立することだ。
自分にとって、これほどまで
人生を豊かにしてくれている音楽からの恩恵と
時には面と向かって対峙して、
音楽を遠くから見ることも大事じゃないかな。
音楽には、改めて感謝しつつも
自分にとってのいい音を、
さらなる滋養として受け止めてゆきたい。
三日目は、いよいよお正月の呪縛から少し飛躍して、
自由に、時代、ジャンル、ごった煮の
さらなる独断と偏見感を増したセレクションといきましょうか。
坂本慎太郎:まともがわからない
ゆらゆら帝国の曲もいいけど、ソロもまたいい味だな。
この人の書く曲は、どこかロックやポップといった枠を超えた
民俗学的な、といっても学問的なことではなくて、
柳田國男なんかがいう、
なんか現実を超越した「ハレとケ」のハレ、
つまりは非日常の延長上にあるものがテーマでありつつも
よく見れば、ケ(日常)の部分も後で付いてくるから面白い。
Herbie Hancock:Chameleon
正月になると、なぜだがハービー・ハンコックのファンクが
無性に聴きたくなるんだなあ。
正統派のジャズナンバーよりもファンク路線が圧倒的にツボだ。
この辺りを聞いているだけで、青春感があふれてくる。
こういう頭の柔らかい、というか、融通性のあるのが
本当のジャズメンなのか、
はたまた、一芸を追求し続けるのが本当のジャズの真髄なのか、
ふと、そんなことを考えさせられるけど
どっかのジャズ喫茶でコーヒー一杯で粘りながら
ひたすらモダンジャズなんかの雰囲気に浸る世界も悪かないけど
今はこっちの方が性に合うな。
THE MOPS – IIJANAIKA(御意見無用)
僕が当時、テレビで鈴木ヒロミツという人をみていた頃は、
すでにこのMOPSの活動の後だったんだなあ。
70年代初頭の日本のロックのエネルギーというのは、
それこそ幕末的な活気があったんじゃなかろうか?
今聞いても、本当にそう感じてしまう。
まあ、流石に半世紀近くも経てしまうと、
今更感はあるけど、不思議に、その音の力に、
今とは比べようもない新鮮で躍動的パワーがみなぎっている気がする。
もちろん「御意見無用」だよ。
笠置シヅ子 :買物ブギー
ブギの女王といえば、この人しかいない。
笠置シヅ子。
もちろん、僕にとってもリアルタイム感は全くないし、
こうして時を経て興味本位に聴いているだけだ。
それでも、やっぱり、高揚するものがあるよね。
戦後、焼け野原時代から逞しく生きてきた開放感がある。
時代や文化背景が異なっても、
何か心が勝手に踊らされてしまうのがブギの魅力かな。
ちょっと、そこのおっさん、おばはん、
えっ、貴様らブギを知らぬとな?
わてほんまによー言わんわ。
EGO-WRAPPIN’:サイコアナルシス
サイコにもなれない気の弱いあなた、グズなあなた。
ここは覚悟を決めて清水の舞台から飛び降りてみる?
そんな勇気がない? それとも家に閉じこもる?
というなら、まずはコレを聴きな。
「正三角形の挑発、快楽、タブー、ノスタルジア」
なんともパンチのある歌詞。
そしてアッパーな曲、中納良恵のすごみある歌。
度数の高いアルコールを一気に飲み干すような
そんな底なしのエナジーソングだぜ。
う〜む、口から火のでるような酒を飲み干す気分です、ハイ。
なんだかカラダファ熱くなってくる。
何も怖いものがないな。
Michael Jackson : Don’t Stop ‘Til You Get Enough
僕はどちらかというと当時のディスコ文化には疎くって、
あまりすすんで踊りに行った記憶はないけど、
「Beat it」や「Billie Jean」「Thriller」をはじめとする、
PV全盛期の80年代に流行ったマイケルの曲は嫌いじゃない。
もちろんマイケル自身もね。
でも、大好きな一曲、家でかけたい曲をあげると・・・
やっぱこれかな。思わず、体が動いちゃうんだなあ。
案外、掃除するときなんかに合うんだよな。
気分良く作業だ進むってわけだよ。
Pigbag:
僕にとってはディスコとニューウェイブの境界線がまさにコレ。
JBの名曲を見事カバーして80年にヒットした曲だ。
前進のポップグループも大好きだけど、踊れるかって言われたら微妙。
PIGBAGのファンクビートはその点は心配ない。
実にご機嫌なナンバーだ。
80年代は、こういう音楽に絶えず、誘惑されていたんだけど、
僕にとってちょうどいいディスコミュージックって
あんまりなかった気がするな。
ザ・フォーク・クルセダーズ:帰って来たヨッパライ
「オラハシンジマッタダ」でおなじみ、
子供の頃、この曲をテレビかなんかで耳にして
面白い曲だなとは思ってたけど、
作った意図や中身、背景なんて全く理解していなかった。
で、今聞くと、なんか新鮮に聞こえるよね。
改めて思うんだけど、やっぱし、トノヴァンってすごい人だったね。
惜しい人だった。
それにしても、お正月って結局、
天国に行ってしまった人たちがぶらりこの俗世に帰ってきて
知人、友人、家族に会って、一緒に酒なんか飲んで、
そんでまた帰ってゆく、そんな場なんじゃないかなって
ふと思ったりして・・・
あはは、馬鹿らしいけど、そういうおおらかな気分になるね。
あぶらだこ : 冬枯れ花火
何でもかんでも、意味を求めてはいけません。
ただ身をまかせるのです。
時にそれが正解ということもあるのです、
この歌こそが、がんじがらめの世の中への福音となるのです・・・
世の中、理屈だけで成り立っているわけではないのですから。
不条理もまた、この世の一部だとすれば、ここに真理がのぞいたりする。
日本の数あるバンドの中で、コレほどまでに超克の個性を醸すバンドを
未だかつて、他に知りませんねえ。
時々、あぶらだこを聴いて、自らのエリを正す自分がいます。
何も、迷うことはないのです。
バカボンのパパのように「コレでいいのだ」
そう呟けばよろしい。
そうすれば、案外道は開けるかもしれないし
未来は明るいと理解できるでしょう。
幻想だって?
くれぐれも、宗教ではありませんから、ご安心を。
Pacific 231 – Sora no kotozute
この三が日は、結構冷え込みはしたものの
予想された雪も降らず、晴天続きでまずは快適な出足しということで、
そのラストを何で飾ろうか、思案したが結局これでいきましょう。
気分晴れやかに、たおやかに
この牧歌的ながら、
正月気分のようなどさくさに聴いても馴染む、
この不思議なモンド感にあふれたナンバー、
Pacific 231の『MIYASHIRO』より
「SORANOKOTOZUKE」で〆たいと思います。
細野さんのデイジーレーベルよりリリースされた
幻のエキゾチックミュージックユニットは
もはや存在しないのが残念ですが、今聞いても独特で大好きですねえ。
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