衣笠貞之助『地獄門』をめぐって
日本映画が世界にその威光を放っていた輝かしき時代を思い返そう。 黒澤、溝口、小津に今村、そんな大御所の名前の中に この人の名前をついうっかり忘れてしまう。 衣笠貞之助という人。 日本映画で、先陣を切って最初に海外で認められた作品 『地獄門』を撮ったひとかどの映画人、それがキヌガサである。
日本映画が世界にその威光を放っていた輝かしき時代を思い返そう。 黒澤、溝口、小津に今村、そんな大御所の名前の中に この人の名前をついうっかり忘れてしまう。 衣笠貞之助という人。 日本映画で、先陣を切って最初に海外で認められた作品 『地獄門』を撮ったひとかどの映画人、それがキヌガサである。
それほどのことまでをしでかしての危険な恋愛沙汰ゆえに この話は、当時の大衆の胸を打ったに相違なく、 当然、都の民衆たちの耳に入らぬ訳も無く それを西鶴の方は、この姦通譚を 男女の情愛のもつれに重きを置いたが、 近松は、むしろ悲哀としてとらえ 浄瑠璃にして、世評を博したのを下敷きにしたものを、 依田義賢がその両者の間をとって脚本を書いたのが この映画版『近松物語』である。