神代辰巳『恋人たちは濡れた』をめぐって
ポルノだと思って見る人、みようとする人には 全くもって退屈極まりないに映画に違いない。 何も起きやしない。 いや、虚無のようなものが、無防備に突きつけられる。 それもそのはずで、70年代の空気を溶かし込んだ わけのわからない焦燥感に突き動かされる主人公たちの吐息が 官能よりも抒情的に網膜を突き抜ける。 そうしたフィルムのざらつきが今でも色褪せず この網膜越しに感じ取れるからだ。
ポルノだと思って見る人、みようとする人には 全くもって退屈極まりないに映画に違いない。 何も起きやしない。 いや、虚無のようなものが、無防備に突きつけられる。 それもそのはずで、70年代の空気を溶かし込んだ わけのわからない焦燥感に突き動かされる主人公たちの吐息が 官能よりも抒情的に網膜を突き抜ける。 そうしたフィルムのざらつきが今でも色褪せず この網膜越しに感じ取れるからだ。
そんな小難しいことはさておき、日活ロマンポルノは わずか70分程度の尺の中に、一定のお色気を含むと言う規定以外は 実に自由で、奔放な映画作りの情熱に突き動かされた、 真の映画狂たちが集う実験の場でもあったのである。 その熱気は男と女の睦みごと以上に熱く、狂わしいものだ。