宇野亞喜良 「AQUIRAX UNO」展のあとに
東京オペラシティアートギャラリーにて 「宇野亞喜良展 AQUIRAX UNO」に行ってきた。 宇野亞喜良の大々的な展示には初めて足を運んだが、 広告はむろん、絵本や装丁の原画からポスター、彫刻に映像作品まで 幅広いジャンルとその個性に直に触れ 出品点数が900点越えというそのボリューム、その独自の世界を十二分に堪能した。 「アートとデザインの境界線は、この先20年のうちになくなるんじゃないかという気がする」 とはかの横尾先生の言葉。
東京オペラシティアートギャラリーにて 「宇野亞喜良展 AQUIRAX UNO」に行ってきた。 宇野亞喜良の大々的な展示には初めて足を運んだが、 広告はむろん、絵本や装丁の原画からポスター、彫刻に映像作品まで 幅広いジャンルとその個性に直に触れ 出品点数が900点越えというそのボリューム、その独自の世界を十二分に堪能した。 「アートとデザインの境界線は、この先20年のうちになくなるんじゃないかという気がする」 とはかの横尾先生の言葉。
こうして出来上がった魅力溢れる人間たちの縮図『天井桟敷の人々』。 そもそも“天井桟敷”というのは 劇場の最後方・最上階にある天井に近い観客席のことをいい そこは当然料金も安く、最下層の民衆にとっての指定席で、 この映画のフュナンビュール座では「天国」と呼ばれ、 ワーワーガヤガヤと子供のように賑やかだったことから 「Les Enfant Du Paradis(天国の子供達)」と呼ばれるようになったんだとか。 いかにも演劇の盛んな国フランスならではの 文化的背景が見え隠れするエピソードである。
平沢淑子という画家の所業に触れるということは、 絵=網膜上の刺激などとは別の、 詩(ポエジー)をめぐるひとつの現象、 なにより唐突なまでに、詩的直感の啓示を受ける というようなひとつの事件なのだ。
田園の真ん中で、 少年時代の自分と今の自分が向き合って将棋を指している。 なんともシュールな光景である。 寺山修司の自伝的映画『田園に死す』の ここからがいよいよクライマックスシーンである。 これほど現実離れした光景があるものだろうか? まさに夢か幻想としか言いようのない世界である。 ところが、なぜだかグッと迫りくるものがある。 なぜだろう?