フランソワ・トリュフォー

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.49 偏愛的シネアストサロン映画・俳優

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.49 偏愛的シネアストサロン

ここで取り上げる映画作家たちは、 これまでの路線を大いに逸脱する名前などでてはこない。 繰り返し繰り返し言及してきた作家たちを ときに、重複する言葉や言い換えによって ああでもない、こうでもないと上書きするだけのことだ。 相変わらず、しまりのない、だらだらとした独り言が続く。 すべての作品を見て、細部にまでこだわり シネフィルの真似事をしたいわけでもない。 そこには自分としてのフィルターがある。 はじめに「好き」ありき。

フランソワーズ・ドルレアック映画・俳優

フランソワーズ・ドルレアック小論法

伝説と呼ばれしものは、永遠に燃え上がるために、この世を早く去る。 そんな格言めいたことばを、ふと呟きたくなるひとりの女優がいる。 彼女の名前はフランソワーズ・ドルレアック。 いうまでもなく、妹は歳は一つ違い、 フランス映画界の大女優カトリーヌ・ドヌーブ、その姉として名が刻まれている。 世間広しといえ、ぼくにとって、美しい姉妹といえば 映画史のなかで、この二人以上に比較しうる存在がいない。 さらにいえば、ぼくは圧倒的なまでに姉ドルレアック派なのである。

日曜日が待ち遠しい! 1983 フランソワ・トリュフォー映画・俳優

フランソワ・トリュフォー『日曜日が待ち遠しい! 』をめぐって

あのヒッチコックも鼻で笑うような もったいぶった出だしを書き連ねたのは 今夜トリュフォーの『日曜日が待ち遠しい!』を観たからだ。 フィルム・ノワール、つまりは犯罪映画でもあり 同時に軽妙なコメディタッチで描かれた、 ファニー・アルダンとジャン=ルイ・トランティニアンの なんとも渋い大人の恋の物語でもある。 ジョルジュ・ドルリューのスコアに乗って オープニングから、こちらは犬が絡んで 路上を小気味好く闊歩するアルダンが素敵すぎる。 これってタチ讃歌?とでもいうべく、牧歌的な始まりに胸がときめく。

隣の女 1981 フランソワ・トリュフォー映画・俳優

フランソワ・トリュフォー『隣の女 』をめぐって 

恋愛とは必ずしも甘美なことばかりではない・・・ なにを当たり前のことをいうのだ、と思うかもしれないが 恋の代償は、なまじ心の痛みを伴うが故に他人にはわからない。 当人にとっては、すこぶる深刻な問題なのだ。 それが究極にまでいきつくと、死まで突っ走ってしまうこともある。 愛を軽んじてはいけない。 フランソワ・トリュフォー『隣の女』はそんな映画の一本である。 とはいえ、ただのつまらない不倫話という、 ある種、下世話なジャンルになりさがることもなく、 恋愛の美しさとむごたらしさの境界を 粛々と描いてみせるトリュフォーの手腕により、 いい映画だった、と口にするのも躊躇うほど 怖ろしい結末へと導かれてゆく。

大人は判ってくれない 1959 フランソワ・トリュフォー映画・俳優

フランソワ・トリュフォー『大人は判ってくれない』をめぐって

そんなレオーの代表作として、 記念すべき第一作『大人は判ってくれない』の 若き日のレオーをまず、とりあげぬわけにはいかない。 なにしろ、たとえ初々しい13歳だろうが、 その後半世紀も経たくたびれた73歳だろうが 結局はレオーはレオーでしかない、 という絶対的神話性がスタートを切った重要なる作品なのだから。