豊島圭介『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』をめぐって
11月25日、この日がいったい何の日か、 即答出来る日本人もだんだん少なくなってきたのではないかと思う。 かくいう自分もその日の出来事があった当時のことは 生まれていたとはいえ、認識は随分遅かった。 こどもに到底理解できるような話でもないわけだが、 まさに、歴史上の出来事として、無視することはできない 昭和の忘れざる一日であることは間違いないところ。
文学・作家・本11月25日、この日がいったい何の日か、 即答出来る日本人もだんだん少なくなってきたのではないかと思う。 かくいう自分もその日の出来事があった当時のことは 生まれていたとはいえ、認識は随分遅かった。 こどもに到底理解できるような話でもないわけだが、 まさに、歴史上の出来事として、無視することはできない 昭和の忘れざる一日であることは間違いないところ。
映画・俳優あまりにまばゆい存在を前にしたとき、 人はしばしば「見ていない」ことに気づかない。 ブレット・モーゲンによるデヴィッド・ボウイのドキュメンタリー映画 『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム(月世界の白昼夢)』は、 その矛盾を鮮やかに描いた華やかなドキュメンタリーだ。 デビッド・ボウイ財団初の公式認定映画ということで、 30年にわたりボウイ自身が保管していた膨大な量のアーカイブから 厳選された未公開映像をもとに編集された内容は、 ボウイ本人によるナレーションによる哲学をも織り交ぜ、 ファンにとっては見応え、聞き応え、申し分ないものだった。
文学・作家・本本はいつだって、我々にもミュージシャンにも、 インスピレーションの源であり続ける。 中には、自分で文学作品を書くミュージシャンだっているし、 その詞の世界は文学以上に難解である場合もある。 音と言葉の共鳴と共存。それが文学という名の洗礼を浴びて、 よりいっそう豊かに響くのだ。 そうした側面を吟味しながら音楽を聞けば、 また違った音楽の魅力にたどり着けるかもしれない。
特集今日、1月11日はというとマイバースデイ。 1が三つ並ぶ日なので、昔から縁起がいいと言われ 気分は悪いはずもないんですが、 またひとつ歳を重ねたわけで、 どんどん死が近づいているのだな。 でも魂には年齢はないし、それこそ永遠なのだから そんなことには、まったく不安などないのです。 自分は年齢を重ねるたびに軽やかなになっている気がして それはそれで晴れ晴れしい気分、楽観的でさえいるのです。 そんなことをわざわざいったり、考えたりするのが 山羊座生まれの性分なのか、ってことになるのかな? まあいいか。
音楽本来なら、GO TOキャンペーンで京都にでも繰り出して、 ボウイの曲を聴きながら街を練り歩きたい気分なんだけども、 なかなか事情が許さない。 だもんで、ここはイマジネーションの力を借りるしかないかなと、 思い出したのはボウイの京都での写真。 コレは『HEROES』のジャケットで知られる鋤田さんの写真で、 中でも個人的に懐かしい阪急電車を背景にしたショットに グッとくるものがあるな。 本人もお気に入りの一枚だとか。 多分阪急河原町駅フォームだろう、 京都から梅田に向かう途中だったんだろうね。 よく、この阪急電車に乗って京都に出かけていた頃が懐かしいな。
音楽一月八日はボウイこと、 デヴィッド・ロバート・ジョーンズの誕生日である。 いみじくも二日後の十日が命日となり、 いわば、根っからのカプリコーン(山羊座生まれの)スターだから、 特にこの新年の二週目は勝手にボウイ週間だと称して、 朝から晩までひとり、ボウイの曲をかけまくっている。 恒例の習慣で、かれこれもう何十年も そんな年頭のスタイルが染み付いてしまっているのだ
特集物質の幸福に、今更何を託せようか? それがひいては宇宙の摂理というもの。 今こそ、人々に求められるものはイマジネーション。 心の中に家を建てよう。 そして、整えよう。 もはやその中でしか、我が魂は生きられぬ。 そんな思いがしている。
映画・俳優大島渚の、微塵もクリスマスらしさを感じさせない問題作 『戦場のメリークリスマス』を、映画館で観たのは随分と昔の話で、 いま頭に残っている内容の方はというと、 こころもとなく曖昧なところだが、 なんとなく、大島渚らしくない映画だったような気がしている。