大楠道代

ツィゴイネルワイゼン 1980 鈴木清順映画・俳優

鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』をめぐって

今日のようなストーミング社会はいったんおいておいて もしもこの世に、映画館なる至宝の闇空間がなかったなら そこに、見せもの小屋のような存在がかえって繁盛するのかもしれない。 妖しげで希少価値のある場所。 そこに見合うプログラムだが、なにげなく禁断の匂いが立ち上りさえれば、 甘い樹液を求む昆虫たちのように、自ずと人は集まってくるかもしれない。 その際、真っ先にこの鈴木清順の出し物こそが 生き生きとその臨場感を醸し出してくれるであろうことはお約束できる。 実際に、プロデューサーのふとした思いつきで 巨大なテント会場での公開となったのが『ツィゴイネルワイゼン』なのである。 配給業者も興行者もいない、文字通りの芝居じみた興行こそが この映画の本質には相応しいのだ。

陽炎座 1981 鈴木清順文学・作家・本

鈴木清順『陽炎座』を視る

時は大正、1926年の東京。 鈴木清順による『陽炎座』の世界に、一度踏み込むと そうやすやすと抜けられそうもない。 まさに、映画六道めぐり、 その夢なる景色が、単にまどろみにとどまらず まるで白昼、真夏の地面に揺れる蜃気楼のように、 こちらの意識をからかい、惑わせ、弄んだかと思うと、 甘美に絡み合っては、いつしかまた儚くすり抜けていく。 登場人物たちはまさに、生きては死に、死んでも生き続けるような そんな妖うさのなかを行き来戻りつする住人たちばかり。 劇中、大楠道代演じる玉脇の妻品子の言葉に 「夢というのはなぜ覚めるのでしょう? 一生覚めなければ、夢は夢でなくなるのに」とあるが、 まさに、このセリフがこの映画の核になっている。 そう、冒頭に引用したこの品子が劇中懐紙にしたためた、 小野小町の歌そのものではないか。

阪本順治「団地」映画・俳優

阪本順治「団地」をめぐって

オフビートな調子で進むなか、 最後、SFチックな妙味が少し乗っかった哀愁のあるコメディ。 喜劇、とりわけ日本映画で、ちょうどいい具合の すんなり入り込めるコメディなんてのはなかなか出会えなかった。 阪本順治による完全オリジナル作品『団地』は キャスティングの妙も手伝って、 日本にもそういう系譜がちゃんと存在することが何より嬉しかった。 やはり、阪本順治はコメディには貴重な存在だ。