インディア・ソング

『マルグリット・デュラスのアガタ』1981 マルグリット・デュラス映画・俳優

マルグリット・デュラス『マルグリット・デュラスのアガタ』を視る

この声はデュラス自身のものである。 映像にあるのは、そのフィルムにある身体性、 つまりは言葉に託された愛だけである。 ブラームスのピアノ曲を伴って妹、ビュル・オジエが、そこにいる。 そして、もうひとり、兄であるデュラスの恋人ヤン・アンドレア。 そこにいるのはこの二人しかいない。 何一つ発しない登場人物に全てを託せてしまうのだ。 これは映画だろうか? 文学なのだろうか? なんという共犯関係なのだろうか? テクストの快楽、映画の快楽との共鳴がそこにはある。 確かにある。

INDIA SONG 1975 Marguerite Duras映画・俳優

マルグリット・デュラス『インディア・ソング』をめぐって

デュラス恐るべし。 とはいうものの、 実際の今、外は鳥のさえずりと、 普遍の夜明けを前に、このインディア・ソングは 真夜中、こうして、魅入られたように、 人知れず、時をえらんでみるべくして 撮られているように思え、 仮に目の前にガンジスが広がっていたならば、 そのまま、きっと現実に背を向け、入水するがごとく、 そのなかへ消え失せてしまうのではないか、とふと思ったりする